特別対談:〈記録〉でつなぎ、〈法学〉を再定義する――ぱうぜ先生と岡本正弁護士、著書を/著書から語る【後編】

 

【前編はこちらです】


4 ぱうぜ先生、『コロナ危機と立法・行政』を語る――「記録」としての本

ぱうぜ さて今、ちょっとキーワード的に「法は変えられる」っていう話が出たんですが、その関係で私の近著『コロナ危機と立法・行政―ドイツ感染症予防法の多段改正から』についてもちょっとお話をさせていただければと思います。こちら、編集の登さんが主導して書いてくれた帯の文言を見ていただきたいんですけれども、「人権先進国ドイツの格闘の記録」とあります。そして、非常に多くの改正があったということを示すコピーが続きます。この本を出す際に結構迷ったのは、あまりにも頻繁に改正が行われるので、本を出した瞬間にアウトオブデート、過去のものになってしまうということだったんですね。

 だから、そもそも出すことに意味があるのかということを自問し続けたわけなんですけれども、そのあたりを説明するために「はじめに」というパートで書いてあるのを紹介させていただきます。

 ちょうど今から1年くらい前の2021年6月に日本の弁護士さんから、弁護士会派の勉強会でドイツやその他の国も含めたコロナ関係の法改正の話を聞きたいということでオンラインで呼ばれてお話をしたんですね。そこで、「なぜ、人権を大事にしているドイツやフランスでこんなに強度の制限ができたのか」という質問をされたわけです。それで、それを説明するには、そもそもこの当時までの1年あまりの間の日本の対応とドイツやフランスの対応というのは全然違うんだということを日本の人たちに知ってもらわないといけない、と強く感じたわけです。

 要するに、なぜそれだけ違うのかというと、「それだけ法改正をしたから」なんですね。そういうことについて、どこかできちんと記録を残さないといけないなと思ったわけです。先ほど、岡本先生のご著書について、この本自体がある意味で法改正の記録になっていて、もしこの内容がアウトオブデートになったとしても記録という意味では価値が残る、ということを言いましたが、むしろ私のこの本は、そもそもそういう価値を狙っていたというか、最初の初動の1年間でドイツはこれだけのことをして、そしてこれだけ混乱をして、こういう状況になりましたということを、誰かが伝えなければと強く感じたことが発端になっているのです。幸か不幸か、当時現地に住んでいた日本の行政法学者が私しかいませんでしたので、それで書いたという本なんです。

 というわけで岡本先生、こちらをお読みになられてどんなふうに思われましたか?

岡本 弁護士とか専門家が目の前のクライアントに法律を適用して何かアドバイスやサービスをする時に使うような法律書だったら、確かに法改正した後の法律の話というのは当然役には立ちませんよね。ですが私も、2011年に災害復興法学を始める構想の中で、今使える法律を教えようとは最初から思ってなくて、当時こういう法律を使ってそれでどこまで頑張ってその結果どこまで変えられたか、そしてその結果どういう課題が残ったか、というまさに「軌跡」の説明こそ、残しておくべきだという思いを持ちました。なぜそう思ったかというと、たとえば今回のパンデミックなんかは特に――もしかしたら自然災害以上かもしれませんが――、次同じようなことが起きるというのはなかなかない。そして、次起きる時には前回の経験者がもう誰もいないかもしれない。そのとき、危機に立ち向かおうという人たちが学べるものとして、本や学問の分野をひとつ、私の場合は「災害復興法学」を創り、政策の軌跡を書き残さなければならないと思ったわけです。

 要するに、何かが起きて法律が変わったときには、その変わったこと自体をある意味で歴史の一部として、現代史みたいな感じで残しておかないといけないのではないかということです。2011年3月の東日本大震災の時に、内閣府職員としていろいろな法改正、法が変わっていくのを目の当たりにして、その後弁護士として自ら法改正を提言してきた経験から思っていたことでした。どうやって変えたのかとか、どういうタイミングで何がどのように変わったのかとか、そういうものを残しておかないといけないと思っていたんです。まさにぱうぜ先生の『コロナ危機と立法・行政―ドイツ感染症予防法の多段改正から』も、私の災害復興法学がやりたいことと同じだと思いました。ドイツが行った法改正や政策を細かく記録し、書き残していること自体に意義がある。それがこの本の価値だろうということは一番最初に思って、共感したところです。

 確かに、この本は「今はマスクをしないといけませんよ」という法的根拠を説明する実務書としてはあまり役に立たないかもしれません。しかし、そういう規制をするためにこれだけの法改正がリアルタイムで行われていたんだよ、という経験の記録としては、たとえば50年後の未来に同じような危機が起こったときに必ず役に立つはずなんです。「はじめに」を読んで、まず、そのぱうぜ先生の考えや思いが伝わってきました。

ぱうぜ 帰国してもうすぐ1年になるんですが、この1年で政権は変わるわ法律は変わるわで、またドイツ社会もかなり変動がありまして、なかなかまとまりません。そう考えると、2021年夏=メルケル政権のほぼ最後までという区切りでこの本を出せたのは良いタイミングでした。

 ところで、ちょっと面白かったのが――これは本には反映できなかったんですが――、その後ドイツでもやはり災害に関する法制度を見直す動きがあったんですね。でも、やっぱり日本ほど災害を経験していない国なので「さあどうするか」という議論になった時に、ちょうど私が住んでいたラインラント=プファルツ州も含めた大洪水が起きまして、その大洪水の復興費用をどうしようかっていう議論が出てきました。そこで、コロナ危機であれだけ連邦が出てきたんだから今回も連邦が出すべきだっていう論調がすごく大きくなったんですね。で実際、この本が対象にした期間直後の感染症予防法改正(2021年9月改正)って、実は、災害復興関連の政府の予算配分とかの法律にちょっと感染症予防法の改正が入っているという形で行われたんです。やはりコロナをどう捉えるのかというのは、元々のその国の災害法制とどう整合させるかということとも結びついているんだな、ということを感じたエピソードでした。

岡本 そうですね。ヨーロッパは災害がそれほどないというか、少なくとも日本でよく起こる地震や毎年の各地の豪雨災害のような自然災害というものはあまりない。

ぱうぜ ドイツには台風はあるんですが地震はないですし、やはり大災害といえば大河川の洪水になっちゃうんですね。洪水はよく起きるんですが、今まで州が担当してたものが今回は州をまたぐぐらいの規模だったということもあり、「コロナ対応は州をまたぐからということで連邦がこれだけいろいろやったんだから、今回も連邦がもっと関与すべきじゃないか」という議論になって。

岡本 先般ドイツで起きた大規模な水害時には、これまでの災害の時と違って国がかなり出張ってきて支援したということなんですね。

ぱうぜ 多少連邦からもお金を出すような仕組みを、政権交代のギリギリのところで作ったんですね。ちなみに今回の政権交代の背景としては、今回の洪水が気候変動による災害だという論点化がされたことで緑の党が躍進し、元々の与党だったCDUが後退した、という面が多少あります。

 もちろん私は政治学者ではありませんし、今言ってることも報道等で知った限りのことで難しいところもあるんですが、なるべくこの本では、歴史家であるとか政治学者とか他の分野の方が読んでも、まあこの筋は間違ってないよねと思われるところだけを、なるべく報道等の記録を残しながら書いていくというスタイルをとりました。謙抑的に書きつつも、それ以上に書きたい場合は全部コラムに実体験談として落とすという形で書いています。

岡本 『コロナ危機と立法・行政』では、報道とか当時のプレスリリースとかのリアルタイムの情報を参考資料としてたくさん引かれているんですけれども、私の『災害復興法学』も結構当時の新聞記事を多く参考文献に掲げています。法改正などのインパクトとか生々しい動きみたいなものに関しては、新聞報道や審議会の記録などをたくさん収めているので、後で学んだりする時に良いインデックスになるはずだと思っています。僕も授業ではこの参考文献の元資料を印刷したものを配って授業をしていますから。

ぱうぜ この私の本の方は、一部は元々『JILISレポート』という形でオンライン上で公刊していたり、あるいは消費者法系の雑誌に依頼されたコラムを載せたりと既発表のものもあるんですが、どういうスタイルで書くべきか結構悩んだ本ではあります。この3冊(『コロナ危機と立法・行政』 『カフェパウゼで法学を』 『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』)はどれも、既存の法学研究者とか弁護士が書く本を少し踏み越えてるところがあって、『カフェパウゼで法学を』を出した後に次に出す研究書寄りの本がこれでいいのかっていう自問はありましたね(汗)。 

 ただ、先ほど述べたように、『コロナ危機と立法・行政』はフローを記録するタイプの本として出すべきだし、だからこそ出版をする価値があるだろうと思ったので、こういう形になった次第です。フローで書くタイプの本というのは、歴史的評価をまだ受けていないところを自分がピックアップする責任っていうのもありますし、結構難しいんですよね。

岡本 コロナ対応に災害対応の知恵が使われたことについては、私自身もフローの記録をしておく必要性を感じました。そこでこの「弘文堂スクエア」のWeb連載(「新型コロナウイルス感染症に立ち向かうあなたを助けるお金とくらしの話」)でも、コロナ危機で災害法制がどう役立ってきたかを書いてきました。連載の一部は、コラムとして今回の『被災したあなたを助けるお金とくらしの話[増補版]』に取り入れました。

ぱうぜ 実際、ブログにしろWeb更新で出せる雑誌的な媒体にせよ、やっぱりこのタイミングで出すことに意義があるっていうタイプのコンテンツを、あとでどう書籍としてまとめるのかっていうのは、課題としてありますよね。

岡本 しかし、ここまで記録している本はドイツにもないんじゃないですか。

ぱうぜ 実は、深堀り的に書かれているものも含めて、ドイツのニュースメディア、特に公共放送のニュースサイトは割とずっと情報を公開してるんですよ。ですので、あとから振り返っても読めますし、たとえば法改正が近いぞという時には、ドイツのZDFとかARDという公共放送のニュース番組の記事を読むと、法律に詳しい解説委員がきちんと解説をしていたりして、いま何が論点になっているのかがわかるようになっています。

 また、連邦議会の公式のWebサイトがあるわけですが、その中に「今回の議論では、この派閥がこういうことを言ってその文書はこれ(リンク)」、で、「こっちの派閥がこういうことを言ってその文書はこれ(リンク)」、というように、公式のまとめブログみたいなものがあるんですよ。これ、日本の国会の場合だと本当に国会中継を聞かないとわからないことなんですよ。ちゃんと法律のことをわかっている人が中立にまとめていると思える媒体があって、こういうものが今回の本の執筆にもすごく役に立ちました。

 メルケル政権時の連邦保健省も、クロニクルという形で――これは本の中でも紹介していますが――どういうプレスリリースを出したかっていうのをよくまとめていたんですね。でも実はショルツ政権になってからクロニクルもちょっと微妙になってしまってすごくやりにくくて、このあたりは政権依存的なところがあるのかもしれませんが。ただ少なくとも、政府側が何をしようとしたかっていうのが割と検証可能だったということはありますね。

岡本 たいへん興味深いですね。日本の災害時における国による情報発信に限定してお話ししますと、災害が起きると「既存の法律だとこういうのが使えますよ」ということを書いた「通知」あるいは「事務連絡」という文書のPDFが出るんですが――それは各省庁の各部署が権限を持っていて出すわけですが――、残念ながら東日本大震災以降、そのすべてをちゃんと検索したり検証したりできないんですね。すでに公開リンクが切れているとか。そもそも公にならずに業界内で通知されて公表に至らなかったものもあります。時系列で当時のリアルタイムの政府対応や情報発信の状況を知りたいと思っても、何千枚という資料を情報公開請求しないと検証できないという状態だったりします。もちろん東日本大震災当時の通知発信の履歴が検索可能な形で残っている省庁もありますが、通知や事務連絡の全部ではありません。

 私も『災害復興法学』を書いた時は、多くの政府発信の記録を辿っていきました。でも、書きながら、検索しながら、これさらに10年経過したら同じようには検索できないかもしれないな、という感覚はありました。ドイツでは今おっしゃったようなクロニクルとか公式の発信がしっかりニュースサイト化されているということでした。日本は、今どんな事務連絡や通知が発信されているのかということも、全省庁について網羅的に検索できるシステムが十分に整っていません。もし、将来同じような災害が起きたときに、過去の叡智をすぐに参照できないので、叡智が断絶しているんです。

ぱうぜ 今のお話をうかがっていて、行政法学者としてはいくつかご指摘できることがあります。一つは、『コロナ危機と立法・行政』で伝えたかったもう一つのメッセージでもあるんですけれども、法律の規律密度論ですね。岡本先生が今説明してくださったように、どうして行政の通知とかまで見ないと実際に行われたことがわからないのかといえば、行政が通知等のレベルで解釈変更や例外適用の話をしているからです。本来はもうちょっと上のレベルで「こういう例外があり得る」ということを規定しておくとか、あるいは、「今回に関しては例外を適用する」という形で改正等しておけば、少なくともそれが公開されることによって辿れるという面は、多少あるわけです。そう考えると、今回の『コロナ危機と立法・行政』は「ドイツは法律でここまで書いちゃったんです」という記録でもあり、後半を読んでいただくとわかりますが、「法律に書きすぎたがために法改正を頻繁にやる羽目になっている」という、ある意味で失敗談でもあるわけなんですね。

岡本 逆に、法律にしたからこそちゃんと残っている、ということでもありますよね。

ぱうぜ はい。もちろん、じゃあ法律じゃなかったら何だったんだと言われるんですが、義務にせざるを得なかったところがあるので。とはいえ迅速性という点では法律よりも下位のレベルで決まっていることもたくさんあって、連邦保健省の法規命令や各州の州政令(州政府による法規命令)という形でも出ていますし、これらのアーカイブも残ってるんですよ。要するに、やらなきゃいけなかった規制の強度が強かったこともあって、法律の留保(侵害留保原理)との関係で法律か委任命令のレベルまでで決めておかないといけなかったことが多く、少なくとも州政令レベル、法規命令のレベルまで結構アーカイブが残っているのでちゃんと辿れる、というのが一つあると思います。

 もう一つ、やはりインターネット環境におけるアーカイブの考え方が、やっぱりちょっと違うなと思いましたね。日本のニュースサイトって結構、残らないんですよね。

岡本 すぐにニュースのリンク切れちゃいますよね。

ぱうぜ あと、日本の法改正にしても、e-gov然り、結局前の法律って残らないんですよね。実はドイツもそうで、法情報の公開・利活用という点では欧州内でも後れをとっているところがあると思います。ただドイツでは、前の法律との差分や新旧対照表とかに関しては実は非営利のサイトが寄付を募ってやってたりして、公開で見ることができるサイトがあるにはあるんですよね。3か月に1回法改正しているようなのをどうやって辿るかというと、結局そこに行き着くんですね。で、それを見ながら翻訳をしたりとかしたんですけれども、そういうクロニクル的な発想が、ちょっとインターネット環境そのものというレベルでも違うし、公的な部分でもそうであると。

 あと、法律の規律密度が低くて実質的な事柄は下の方というか、レベルが下の方でやっているのに実際にはすごい影響がある――教科書的には行政規則の外部化現象というものですね――という問題。つまり行政の解釈に過ぎないものが結果的に外的な法環境を変えてしまっていてその解釈変更にみんなが影響される、そういうものであるにもかかわらずそれを秘匿してしまったり、結果的に届かない、という問題ですね。『災害復興法学』を読んでいると、中央は頑張って変えたと言ってるんだけれども変えたことが伝わっていない、そういう場面が結構ある、という話がありました。

 ドイツでも同様の現象は今回かなり起きたとは思うんですが、先ほども説明したとおり、法的な効果のある規制をかけるという手法をとったために法律のレベルで対応する必要がかなりあって、そのレベルにおいては公開されていますから、「決まっているはずなのに公開されていない」というような問題が現場で発生していたとしても、かなりその程度は異なっていたのではないかと思います。人権を制限する内容の規制を法律上決めるときは、憲法基本法)の条文との関係で説明しなきゃいけないという挙示義務もありますし、立法過程での議論が公開されることで、不分明な部分は相当程度解消できていると思います。

岡本 「法律」が明確に存在し、それに基づいて規制をして義務をかけたり、権利を制限したりしてということであれば、わかりやすいし、インパクトがあって、ニュースソースにもなりやすかったりします。なので、法律が根拠の場合は、国民も災害時の対応を認識しやすい。ただ自然災害の被災者支援の場面に置き換えると、規制とかではなく、たとえば今までは親族までの支援だったのをもうちょっと範囲を広げましたというように拡張したり、権利を付与する場合の支援の例外みたいなところとか、今までは自宅が「全壊」じゃないと支援を受けられない被災者が、今回の災害では自宅が「半壊」でも支援を受けられるように緩和しました、というような場合は、法改正ではなく事実上の予算措置的なものが多い。法改正のツリーに乗らないんです。なので省庁としても法律ではなく、一過性のアドバイス(技術的助言)だったりという認識があるのか、情報がアーカイブにならず、流れていってしまっているのではないかと思うこともあります。次の災害の時には、知識としてそのときの担当者のところにノウハウとして残らないんだろう、という懸念がありました。

ぱうぜ 法改正でなきゃいけないっていうことを私は言いたいのではなくて、法改正じゃないやり方をしている以上、法改正の時だったら自動的についてきたそういうアーカイブ機能であるとか、いろいろなシステム上の更新情報等というものが、法改正以外の手法を採ってしまうと自動的には付いてこないわけです。だからこそ、なおのこと残そうとしたり、あるいは広げようとしたり、あるいはどこかでポータルサイト的にまとめようとしないと、どんどん散逸して、その時点ですら他の人がアクセスするのも大変だし、あとから研究者的にアクセスすることもできなくなってしまうという、そういうのが問題だと思うんですよね。

岡本 日本でも、今回のコロナ禍では、内閣官房ですぐにまとめサイトが立ち上がり、日々更新されるという仕組みができました。この話は、これまでの災害支援の叡智が引き継がれたのかなと思いまして『被災したあなたを助けるお金とくらしの話[増補版]』でもコラムで取り上げています。

 内閣官房では、「各種支援のご案内」(https://corona.go.jp/action/)というページをつくり、リアルタイムで新しい支援ができるたびにサイトを更新していっているので、そういう意味では非常に頑張っています。そして次の自然災害による大災害の時にはぜひこういうことをやってほしいなと。そして、細かく更新履歴や旧版ウェブサイトなども必ず残しておいてほしい。やはり更新履歴がわからないと、いつのタイミングでどの支援がどのように発信されたかということを後で検証しようにもできないわけですからね。

ぱうぜ ドイツではこういうポータルサイトというのはなかったですね。あと、各州の支援と連邦の支援の関係とかもすごく不透明だったので、こういうのがちゃんとあったっていうのは、やっぱり日本は災害慣れしてたっていうのもあったのかなと思いますね。コロナ禍でせめて良かった点――というとちょっと言い過ぎかもしれませんが――は、これは全世界的にそうだと思うんですが、行政のデジタル化の必要を全員が痛感することになったということじゃないかと。これは結構、私の研究対象からすると興味深いところがありまして、日本でもちょうどデジタル改革をしようとしていたタイミングでコロナが来てしまったということで、裁判所のデジタル化というかオンライン対応というのもそうですし、各種の申請等でももうちょっと簡素化しないと、対面の機会を減らすということ自体が政策目標になったりしてるわけですから。

 実はドイツもちょうど、主要な行政手続へのアクセスにつき、デジタル対応を2022年末までに終わらせなきゃいけないっていう話(オンラインアクセス法の施行期限)があります。そういう背景が元々あったところ、今までずっとデジタル化が遅れていると言われ続けたドイツがコロナ禍で一気にそれをやる羽目になったというか、かなり行政のあり方が変わったというのは覚えています。もともとドイツの行政サービスって利便性が低くて、コロナ禍以前は行政の窓口にいく予約すら3か月待ちとかが当たり前だったのが、今ではオンラインでするのでだいぶ楽になったとか…。私の帰国時の手続も、行政との関係ではメールだけで完結しましたし。ともかく、良かったことをきちんと残して、次の災害の時にはそれを役立てるというのを考えないといけないですよね。

 

5 オンライン時代の授業、そして法学入門本とは

ぱうぜ 最後の話題として、ちょっと『カフェパウゼで法学を』の改訂の話をしてもいいでしょうか。この本は、法学入門本と分類してよいのかどうかは実は自分でもまだよくわからないところがありまして、一番読んでもらいたい層として、「法学にも興味がある社会科学系の大学生一般」を想定して書いてるんですよね。ですので、いろんなところで教科書とかゼミの副読本として使っていただいてるんですが、どうも聞いていると、「法学に関係なくても読んでおけ」っていう推薦文句がつくことがあって。なんでだろうと思ったんですが、実は、やっぱりタスク管理だとかレポートの書き方だとか、大学生活の導入の部分がかなり評価されているようでして。意外とそういうことを教えてくれる人がいない、ということなんですね。ましてコロナ禍で先輩後輩のつながりが弱くなったから、さらにいないんだ、と。

 ただ、この本自体はまだオンライン学習にまったく対応していないので、次の改訂ではそこをやりたいんですよね。「オンラインでできることはここまでで、対面だとこういうことができる」という考え方をとってもいいんですが、他方で、むしろコロナ収束以降どこまでオンラインでできることを残し続けるのかということもちょっと未知数なところがあって、そういうフロー的な箇所が出てきてしまうんですよね。この本自体はストックの本だと思うんですけれども、次の改訂でどこまでそういう非対面授業が当たり前になった後の大学生活を描くのかっていうのは、今ちょっと悩んでいるところですね。
 なにせ、オンラインと言っても大学当局によって対応が違うんですよ。本当に対面原則に戻したところもあれば、2022年5月の時点で千葉大学政経学部では、100人超えたら完全対面はしないという指針でやってるので、私に関しては結局、いまだにオンデマンド授業がほとんどなんですよね(編注:6月以降方針が変わりました)。

岡本 ちなみに、2022年5月現在の慶應義塾大学三田キャンパスですと、基本的には対面授業が再開されており、私の担当する『災害復興と法1』という授業では、一番大きな大教室に約350人の学生がいるかっこうです。

ぱうぜ 定員の半分で運用することができるような、そういうキャパがある教室があるかどうかで大学の対応が変わるというのは、致し方ないところがありますね。ただ、すごく強く伝えたいのは、「対面じゃないとこれができない」とか、「オンラインだからこれができない」っていう考え方を教育者も学習者も思っちゃうと、それはすごく不幸なことだ、ということですね。それぞれ特性があることを理解しつつ、それに対応しながらできる方策を双方が開発していくっていう段階だと思ってるんですよね。

岡本 そうですね。このコロナの2年間、2020年度と2021年度は、ロースクールを除いては全部オンラインだったんですけど、じゃあ何かできないことがあったかというと実は何一つなかったし、自分が担当する「災害復興法学」の授業の質やパフォーマンスは下げることがないように対応したつもりです。2020年度で言うと、たとえば私のロースクールの『災害復興法学』の授業では、本来は、ソクラティック・メソッドを中心に、随時板書しながらケーススタディを解きほぐしていくみたいなことが主眼になるので、どうしてもリアルタイムの板書を示すことが必須になります。コロナでオンデマンド講義を余儀なくされたので、その場合は私が学生たちがいると想像したうえで、頭の中で仮想ソクラテス・メソッドをしているつもりになって、板書している私自身の姿自体を撮影してYouTubeで配信する、という対応をしました。20分の動画でも学生たちは実はゆっくり聞いたり、止めたり戻したりして結果として30分、40分学習することになります。むしろそれが良いという反響もありました。リアルだったらそのタイミングで僕が学生に質問したりとかするんでしょうけど、それができないことを除けば、実はそんなに授業のパフォーマンスは落ちなかったと思っています。

ぱうぜ 今のご指摘はすごく重要です。私の共著『法学学習Q&A』有斐閣・2019年)でも「初見の言葉はちゃんと予習しておかないと聞き逃すよ」ということを最初の方に書いたんですけど、コロナ禍を経た今この部分を改訂するとしたら、〈予習をしてから臨むという昔ながらの講義スタイルで聞いてもいいし、まずは先生が言っていることをサクッと聞いて「ここ大事だな」と思ったところを後で聞き返すというやり方でもいいから、自分の学習特性と環境特性にあったやり方で、きちんとやるべきことをやろう〉と、つまり自分で時間をコントロールして主体的に学習することが求められるよ、ということをおそらく書くと思うんですね。

岡本 私の場合はオンデマンドでYouTube配信という形をメインで採用しましたが――受講者数がとても多いので――、仮想ではありますが、対話性のようなものは意識しました。「ここで1回動画止めていいからこの単語だけ調べといてね」、みたいなのをバッと挟んでおいたりしました。だから、オンラインだからできない、というようなことはそんなにないんですよ。2020年度はロースクールも学部の講義も、いずれもオンデマンド配信するしかなかったので、えいやと大きなモニターを購入し、そこにスライドを映しながら、横でニュース解説(お天気解説)のキャスターのようなセッティングをして、講義をしました。背面には一面のホワイトボード壁紙を貼り付けて、そこに書き込んだりする姿をそのまま撮影したりして、配信していました。

ぱうぜ これは千葉大学で行われたシンポジウムでも述べたことなんですが、「教育者は二重の意味で自分たちが教えてもらっていないことを急にしなきゃいけなくなった」ということを強調しておきたいですね。一つ目は、例えばアクティブラーニング。学生時代自身はそういうタイプの教育を受けたことはないんだけれども、それがいま新しい教育として求められているのでやります、という。それからもう一つが、それをオンラインに持っていけと言われた時に、いやアクティブラーニングをオンラインに持っていくなんてどうやってやれっていうの?といった悩みですね。

 予備校教師の方や通信制大学の教員の方々は配信授業という形でこれまでも色々と工夫されてきたと思いますが、それ以外の学校の先生というのは必ずしもそういうことをあまりやってきていないし、授業を受ける側も然りという状態で、オンライン授業に急に突入したわけじゃないですか。でも、岡本先生の動画みたいに色々な方の工夫を私もドイツにいながら見たりして、なんとかやってきたという状況です。

 そういう意味では、色々な先生方の教育現場における工夫をお互いに見ることができるようになったり、動画を作って配信すること自体の心理的ハードルがかなり下がったり、これは良いことですよね。

岡本 私のホワイトボードを参考にしたと言ってくださる方もおられました。経済学の方なんですけど、数式とか書くときにパワポで見せるよりも、そのプロセスを見えるように手で書いた方が効果的だったということです。

ぱうぜ 過程を見せることが大事だということですね。そういうふうにやっていくと〈対面授業でできていたことの何が必要な要素で、何はなくてもいい要素なのか〉というのがわかっていくというか。

岡本 パワポのスライドでフェードアウト、フェードインでやるのではダメで、手書きで数式を書いていくというのがないと、やっぱり伝わらないっておっしゃるんですね。

ぱうぜ そうですね。だから時間のコントロールという点もそうですし、じゃあ「対面授業の方がいい」っていう意見が出たときに、単にそれだけじゃなくて、どんな要素が必要だったのかというのを、学生側も教員側も考えていくきっかけにはなった気がしますね。

岡本 自分にちゃんとフォーカスを当てて語れる実力があるぱうぜ先生なんかは対面向きだと思いますし、私も基本的には、スライドや資料がなくても伝わる語りを心掛けています。たとえば、慶應義塾大学法学部の「災害復興と法1」(春学期)と「災害復興と法2」(秋学期)では、私が企業や自治体などで行う、パワーポイントスライドを駆使してビジュアルを工夫するようなセミナーとは打って変わって、参考写真や参考動画を見せる以外にはパワーポイントスライドも使わず、かといって板書で説明するようなこともほとんどしないんです。教科書の『災害復興法学』または『災害復興法学Ⅱ』を手元に置いてもらって、あとは「〇〇法改正、今国会で成立」みたいなインパクトある新聞記事を配って、じゃあこの記事が出るまでの話を今からするぞということで、ずっと喋り続ける。知識を覚えていただくというよりは、都度私もほとんどアドリブで、法改正の経緯の濃密な話をひたすらします。それでも聞いてくれるんですね。そういうタイプの授業をしてきた先生は、たぶんそういうYouTube動画を録ることに抵抗は少ないように思います。また、逆に板書をたくさんしてきたような先生なら、ちょっと工夫してホワイトボードなんかに書けば良質な動画コンテンツになると思います。慶應義塾大学ロースクールの「災害復興法学」は、ホワイトボードを利用した後者のパターンです。

ぱうぜ どういうふうに学習効果があったのかを教員側がフィードバックで知ることがなかなか難しい現状については、どうなのかなと思うところはありますね。ともあれ、演者というか、劇場型だった対面型講義をどうやって良くしていくのかとか、あるいは知識を伝達するのであればむしろ、録画配信にして倍速とか繰り返しとかができた方が、各人の学習特性に合わせられるんじゃないか、とか色々ありますね。

岡本 必修科目であるとか、基礎法学科目のように知識を教えこまないといけない科目というのは、おっしゃるように変革を迫られているかもしれないですね。

ぱうぜ だから、「同時視聴はダメ」だとか「倍速再生はダメ」だとかおっしゃる先生もいらっしゃるんですけど、私はこういう意見にかなり違和感がありまして。どういう違和感かというと、どう学習するかという方法を考えるとき、各自の特性が異なるということに考えが及んでいないのではないか、と危惧するからです。これはむしろ教育者側だけでなく学習者側の責務でもあると思うんですけど、自分自身の学習を振り返ってみて、耳で聞いた方が理解しやすいのか、書いたものを読む方がわかるのか、といった学習者としての特性を考えるべきだということです。たとえば今の岡本先生の対面型講義でも、読んだ方がわかるタイプの人は多分聞きながら教科書を読んでると思うんですね。他方で、1回そのパッションを得てからじゃないと情報が入ってこないタイプの人はずっと岡本先生を見てると思うんですよ。で、その上で後でわかんなくなったら本を読もう、と思って勉強すると思うんです。

 聴覚優位の人とか感情優位の人、視覚優位やロジック優位の人など、同じ授業を受けてても受け止めが違うはずなんですね。だから、オンライン講義になった時も、そういういろんな特性――教員の特性もありますし、学生側の特性もありますし――に応じて、それらに対応できるような、なるべくユニバーサルな講義になる方がいいんじゃないかなというのが、個人的にはちょっと思っているところです。そういうものを実際に自分ができるかどうかはさておき、そういういくつかの違う形の講義を提供するというのも、ちょっと考えた方がいいのかなと思う時があります。一人の教員でやるのは難しいんですが、何人かの教員でバリエーションをつけるとか。

岡本 私は、せっかく撮り溜めた動画を陳腐化しないうちにどう活用するか、みたいなことは考えますね。『カフェパウゼで法学を』に、こういうオンライン対応の話が加わったら完璧だと思いますよ。

ぱうぜ オンラインは自分も試行錯誤なので…。岡本先生にも今いろいろとうかがいましたけど、他の先生にも、どうやっているのかを聞いてみたいと思いますね。

ぱうぜ さて、3冊の本をきっかけに事前の台本もなくお話しをしてきましたが、改めて痛感したのが、未曽有の状況において行ったことを記録し、将来につなげていくことの大切さですね。災害にせよ、コロナ危機にせよ、オンライン対応を経た大学の学びのあり方にせよ、それ自体は「過ぎ去ってしまった事柄」に見えるかもしれませんが、将来の備えとしての「記録」をつなぎ、次の機会に生かしていくことが重要ですね。社会における法のあり方とか、これからの法学のあり方についても色々な示唆を得ることができました。『カフェパウゼで法学を』の改訂にあたっても、今日のお話を意識しておきたいと思います。本日は長時間どうもありがとうございました。

岡本 経験をもとに「災害復興法学』を興して、それが防災教育としての『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』にどうつながったのかのお話をさせていただきました。そして、社会の仕組みが出来上がる『軌跡』を記録することも、法学の重要な役割だということが伝わればと思いました。ありがとうございました。

(2022年5月10日収録)

 

 

特別対談:〈記録〉でつなぎ、〈法学〉を再定義する――ぱうぜ先生と岡本正弁護士、著書を/著書から語る【前編】

 

――ぱうゼミ(千葉大学・横田ゼミ)にもゲストとして登場したり、本Web連載「タイムリープカフェ」を書籍化した『カフェパウゼで法学を』でも新たな弁護士像を体現する人物としてクローズアップされている岡本正弁護士(銀座パートナーズ法律事務所)。ぱうぜ先生の新刊『コロナ危機と立法・行政』の刊行を記念しての特別編となる今回は、「災害復興法学」を確立し、最近も一般向け書籍『被災したあなたを助けるお金とくらしの話[増補版]』(弘文堂・2021年)を上梓し防災教育にも注力する岡本弁護士を迎え、お互いの近著を肴に、本作りの苦労話からこれからの法学や法律家の課題・役割、さらには大学オンライン化の行く末まで、大いに語ってもらった。(弘文堂編集部)

 

はじめに

ぱうぜ 今日は懐かしの(※コロナ禍とドイツでの在外研究のため)弘文堂会議室で、弁護士の岡本正先生をお迎えしています。今日は、『カフェパウゼで法学を』が先日めでたく2回目の増刷がかかって、さらに、この『カフェパウゼで法学を』の最終章に登場していただいた岡本正先生もまた弘文堂でご著書『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』を出されて、それも増補版が出ているということで、これらの本についてお互いに紹介したり質問したりしつつ、「タイムリープカフェ」特別編という形でお届けしたいと思っています。岡本先生、よろしくお願いします。

 まず、私の『カフェパウゼで法学を』が2018年に出ていますが、刊行からそろそろ4年経つのでそろそろ改訂しようという話も出ています。そして次の、岡本先生の『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』の初版が2020年に出て、すぐあとの2021年末には増補版が出ました。で、それを追いかけるような形で今年(2022年)の2月に、私の『コロナ危機と立法・行政』という本が出ました。これは、ドイツでの在外研究期間(2019年10月から2年間)がほとんどコロナ危機下だったということを奇貨として書いた本ですね。以上3冊の内容を踏まえて話をしていきたいと思っています。

 

1 『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』はなぜ生まれたか

ぱうぜ これ(『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』)、増補版ということなんですが、すごいスピードで増補版を出されましたね。これ、趣旨としてはどういう感じだったんでしょうか。ぜひ、本の趣旨と、増補版が出た経緯を教えてください。

岡本 そもそも『カフェパウゼで法学を』が出てもう4年経ちますが、大変恐縮ながら私も、同書のもとになったブログ(本連載「タイムリープカフェ」)時代から登場させていただきました。その時は、法律を学んで例えば実務家になったりしても、研究をしたりとか教育に携わったりとか色々なルートがあるよという一例として、私のやってきたことをご紹介いただいたわけですが、私自身も自分を見直すきっかけになって良かったと思っています。

 簡単に申し上げますと、私は2003年から弁護士をやっているのですが、法律家としてはやや珍しいキャリアで、2009年から2011年の2年間、内閣府に国家公務員として出向した経験があり、行政改革・規制改革・その他の国家戦略の策定に参画するという経験をさせていただきました。

 その出向中の2011年3月11日に東日本大震災がありました。建物や街が破壊され、多くの方が亡くなりました。それに加えて「どうやってこの先を生きていけばいいのか」「ローン支払いができず途方に暮れている」「どうやっても自宅の再建や事業再生にお金が足りない」という声が溢れていることに気が付きました。それをきっかけに災害時の制度や法律について、法律家ももっと学んで、平時からそれらを学ぶ防災教育に関わらなければならない、あるいは現状の法制度に満足することなく、もっと公共政策に法律家が貢献していけるのではないか、ということを強く思ったわけです。

 それで、そういう経験をもとに大学で授業をやってみれば、防災教育や公共政策へ関与する新しい法律家のあり方や、新しい切り口の防災教育・法学教育の世界の扉が開けるのではないかと思いまして。思い立ったところで、当時は何の実績もなくて論文ひとつ書いたこともないまだまだ若手と呼ばれる弁護士だったんですが、恩師の示唆もあって、興味を持ってくださった慶應義塾大学の北居功教授にはじめてお目にかかり、開口一番、「災害と法学」の講座を作らせてほしい、と迫った(笑)わけです。

ぱうぜ ここがすごいんですよね〜。

岡本 これもミラクルのひとつでしたね。

ぱうぜ 岡本先生の実務における実績と、新しい法学のニーズというものをどうにかして学生に伝えたいんだという熱意を、慶應義塾大学さんが汲み取ってくださったわけですね。

岡本 おそらく研究者の先生方も、東日本大震災を目の当たりにして、自分たちができることは少ないと思われていたのではないかと思うんです。そこで、私の『災害復興法学』の授業をつくりたいという提案がうまく受け入れられたのかなと。

ぱうぜ そうですね。で、岡本先生の素晴らしいのはそれをちゃんと本にされているところで、授業をまとめた本『災害復興法学』慶應義塾大学出版会)が2014年に出てるんですよね。なお、その後2018年に続編『災害復興法学Ⅱ』(同)も出ています。

岡本 慶應義塾大学の授業名や本のタイトルにもなっていますが、自ら「災害復興法学」と名付けて研究と実務の両輪みたいなことをやっている中で、最終的に『カフェパウゼで法学を』でも触れられているように、論文博士、それも法学の博士号をとることができました。何の博士号をとるかは法学以外にもいろいろありえたと思いますが、法学という形でとった方が、その後にこの分野を開拓したいと考える人たちにも目標になるだろうと。それが2017年のことでした。

 そこである意味ひと段落、東日本大震災からの想いが完結したような感じもありますが、実は僕としては「これでようやく土壌ができた」という思いだったんですね。一番やりたかったのは、2011年の東日本大震災の直後には私ができなかった、〈被災者の方々にもっとうまく支援の知識を伝えること〉だったんです。被災する前に、災害後に役立つ法律の知識の大事さというものを、なぜ公教育で教えられなかったんだろうか、と。被災してしまう前に、そういう法律があるんだよということを3つでも4つでも覚えておいてほしいという、まさに「防災教育」をやりたかったわけです。

 このように、法律を事前に知るという防災教育をしたいと思いながら、災害復興法学の授業と研究を続け、その講義をまとめた『災害復興法学』を世に送りだしたときに、ちょうどぱうぜ先生の「タイムリープカフェ」でも私のキャリアを取り上げてくださったわけです。

ぱうぜ 良いタイミングだったわけですね。

岡本 ぱうぜ先生との出会いで、弘文堂さんとも縁ができて、2020年に『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』の初版を出すことができました。おかげさまで多くの方の手にわたり、慶應義塾大学以外でも教科書として採用できたりしまして、いよいよ増刷しましょうかという話になりました。タイミングとしては、まだまだ新型コロナウイルス感染症のまん延が続き、政府もこれまでの災害対応の経験を生かした家計や企業の支援策をいくつも打ち出していた時期でした。また、東日本大震災から10年の間の課題が、ある程度法改正に反映されて、私自身が取り組んできたさまざまな法改正提言も、その一部が実現していた時期でもありました。そこで、単なる増刷ではなく、これらの社会情勢を反映する「増補版」にしようという企画になりました。

 コロナ禍に関しても過去の災害での対応に関する知恵が利用されていた部分が多かったということを、コロナが収束したあとでも、ひとつの読み物として参照してもらえるよう意識した「コラム」を加筆したことが、「増補版」の最大の特徴になります。

 

2 「実用」へのこだわりーー「小学生でも読める法律書」をめざして

岡本 弁護士の立場で法律をテーマにした本を書くとなると、どうしても「〇〇法の解説書」になってしまいがちです。また、弁護士という著者の肩書きから、書店の法律書のコーナーに並んでしまいがちです。『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』は、あくまで一般向けの「防災の本」として作りたいという思いがありました。書店でも「暮らし」とか「実用書」のコーナーに並んでほしいと。

ぱうぜ 初版の時にわざわざドイツまで送っていただいて。手に取ってすぐにこれは「防災本」だと思いましたよ。被災する前にも読んでおくべきだし、防災バッグの中に入れておいてもし被災したときには避難所とか避難先で読む、という想定で、中身としても物理的な本の形としてもしっかりした本の作りになっているのが、非常に心強い本だなぁと思いました。

岡本 ありがとうございます。被災前と被災後の両方で読んでもらいたい本なんです。もちろん、できればこの本が使われるような状況にはなってほしくありませんが。インデックスとして章ごとに色を変えたりするなど、実用性も重視しました。また、「防災バッグに1冊」というキャッチフレーズで防災グッズとして用意してほしいとも願っています。そこで、本の表紙は丈夫かつ軽いものを厳選し、コンパクトなハンティサイズという点もこだわったつもりです。

ぱうぜ しかもこれ、法律家は見落としがちなんですが、適切にルビが振ってあるんですよね。初版を見た時に「ああそうか、こうしなきゃいけないんだな」と思いましたね。あと、適切なQRコードの提示。例えば、増補版の26〜27ページで「保険協会への契約照会窓口を活用する」という項目がありますが、これ、実際に困っている時はもうバタバタしているわけですから、手元にはPCなんかはなくてスマホしかないかもしれない。そんな時にとりあえずQRコードを読み込めば、関係するウェブサイトのトップページにすぐアクセスできると。あと、重要なフレーズに色線がついていているのも親切。それも、「保険証書をなくしても大丈夫ですよ」とか、とにかく安心させる言葉になっているところがいいですよね。すごく配慮されてるなぁと思います。普段本を読まない人でも、これ1冊あれば被災時に何ができるのかということがわかるようになっている。

岡本 法律があるからその解説を書く、というのではなくて、これまで多くの弁護士が培ってきた被災者支援の経験、活動も踏まえて「被災者はまず何が困るのか」「どういう順番で物事を解決していけばよいのか」という時系列を意識して書きました。「はじめの一歩」(Part1)は、お金やローンの問題が被災者を襲う現実について気付きを得られるような序章となっています。そのあと、パニックにならないために、「貴重品がなくなった」(Part2)場合や「支払いができない」(Part3)場合の解決策についてノウハウを書いています。その後は、実は役立つ法律がたくさんある「お金の支援」(Part4)へと続きます。法律だけではなく、民間企業や弁護士会などの公的団体による支援など、災害がおこったときに必ず知っていてほしい知識を盛り込んでいます。国の制度や民間の支援なども一緒くたにはなっているんですが、ただ本当に困っている方にとっては、根拠が法律かどうか、事実上のものかどうかは関係なく、パッと見てわかりやすい整理が重要だと思いました。また、平時にこの本を読む場合にも、「自分自身が何に困ることになるのか」を想像しやすいと思いました。

ぱうぜ そうですね。この本は「時系列」と「分野ごと」というのがうまく組み合わさってるなぁと思いますね。私も岡本先生にいろいろと教えていただきながら災害法制のことを少し勉強したりもしたんですが、支援を受けるためには、発災時や発災後の特定の段階でしておかないといけないことがいろいろあるわけです。でも、「自宅が被災したら、まずは罹災証明書を申請しよう。そのときには忘れずに、壊れてしまった自宅の様子を写真撮影しておこう」というようなことって、何度か経験しないとなかなかわからないんですよね。とはいえ、大災害を何度も経験することなんてそうそうない。だから、そこで、「少なくともこの本が書かれた時にはこういう支援がありました」ということがわかれば、「ひょっとしたら今度の災害の時にもあるかもしれない」となる。この点、増補版では、「コロナという、今まであまり災害だと思われていなかったようなものに対しても、これだけのことを日本社会はしたんだ」ということをコラムという形で「記録」しているのが、非常に面白いなと思いました(これについては【後編】4でがっつり語ります)。

岡本 ありがとうございます。確かに『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』が、法律解説書のようなものだったら、法改正があったり、改訂したりすれば、旧版はもうお役御免で使えないというふうに思われがちです。でも、おっしゃるようにコラムは「記録」を意識したので、いずれ旧版になってもその話が残っていること自体に価値があるんだろうなと思いました。今回、コロナと災害がリンクする部分をテーマに7つのコラムを加筆しました。コロナが収束したとしても、「当時は、コロナ禍で経済支援を必要とする国民や事業者に対して、わが国がつちかってきた災害に関する知恵が生かされていたんだ」ということを、お話としていつまでも読んでいただけることに意味があるのではないかと思っています

ぱうぜ 本当に徹頭徹尾、実用書というか、「いま」本当に困っている人を支えるために「この時点の」岡本先生が何ができるか、ということを考え尽くされた本ですね。

岡本 「実用書」として相応しい本であるために苦労したことといえば、文字数です。『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』は30の話があるんですけど1話あたり4ページしかなくて、しかもその4ページの半分以上がイラストとまとめの言葉です。文字数にして1話あたり1000字あるかないかぐらいです。そこに、必要最低限かつ十分な支援情報を盛り込む必要があるので、一文字一文字の選択に神経を使ったつもりでいます。

ぱうぜ 私の場合は、『カフェパウゼで法学を』を出した時、表紙の見た目に反して中身はぎっしりで結構文字数が多くて大変…というようなご批判もそれなりにいただいたのですが(笑)、これくらい行間があれば線を引きながら読むことも簡単ですし。

岡本 本当はもっと書きたいこととか、「ただし例外は…」みたいな部分はすごくたくさんあったんです。それでも、最低限知っておくべきことということで、とにかく必要な情報のみを記述するよう削ぎ落として削ぎ落として、本当に一番大事なところだけに厳選しました。我ながら、よくここまで短く説明してしまったなと(笑)。

ぱうぜ だから、実際に支援に当たられる専門職の方からしたら物足りないところもあるかもしれませんが、まずは被災者の方々に「初動」をしてもらう、ないし声を上げてもらうところまでを補助するというイメージですよね。

岡本 はい。子供たちにも読んでもらえるよう意識しました。読者は、小学校高学年以上ぐらいからを想定しています。文章もやさしい語り口を心がけましたし、ぱうぜ先生もご評価くださったように、専門用語にはルビも振ってあります。中学生むけのワークショップをやったときも、全然問題なく資料として使えました。子供たちにとっても、災害で「お金」に困るというのは目から鱗ですが、気が付けば当たり前のこととわかってもらえます。そこに「罹災証明」というのが必要なんだとか、こんな支援金があるんだとか、被災はできればしたくないけれども、知ってたら必ず役に立つ知恵が手に入るということで、興味を持ってくれます。

 

3 法学の「拡張」へ:法律は「使える」し、「変えられる」

岡本 『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』では、「災害ADR」について解説しているところがあります。たとえば、多くの方は法律問題でトラブルになってしまったら、裁判所で争うしか解決策がないと考えているようです。しかし、実際には弁護士会が運営する「災害ADR」を利用して、話し合いで解決したケースもある。これも結構目から鱗の情報なようでした。書いてみたら意外と、「罹災証明」とか「被災者生活再建支援金」よりも反響があったんです。紛争解決の仕組みが裁判以外にもあるんだ、と。

ぱうぜ おそらく罹災証明が必要だっていうのは、詳しいことはわからなくても割と周知されてきていると思うんですが、言われてみれば災害ADRって、どういう時に使うのかも含めて情報があまりないんですよね。私自身は被災経験がないので、「そうか賃貸借契約の修繕義務とか、工作物責任ってこういうときに紛争になるんだ」と改めて思いました。非常に身近なところで法的紛争に巻き込まれてしまう。そこに、災害ADRが一つの解決法として出てくるというのは、言われてみれば…という感じです。

岡本 一般向けにADRを解説した本すら、あるかどうかのレベルですよね。

ぱうぜ ADRってどうしても専門家向けの本が多くて。裁判以外の…ということで、どうしてもちょっと「横道」みたいに思われてしまうかもしれないんですが、実際には今回の本で紹介されている「災害ADR」など大規模災害の際や、ほかにも交通事故紛争や住宅紛争など、様々な紛争解決実務の現場ですごくよく使われたし、それを受けてADR自体もオンラインで実施するなど、いろいろと実務上の工夫もされているところですね。

岡本 防災教育や各種セミナー講師などもさせていただくのですが、ADRという仕組み自体についてはやっぱり知らなかったという声が多いですね。ただ一度聞いて単語だけでも知識として知っておけば、いざという時に頭の中に残っていますから、防災教育はやはり有益だと思います。

ぱうぜ やっぱり、耳に残っているかそうでないかでは全然違いますよね。

 ちょっと脇に逸れますけど、オンラインADRのことをいまODRって言ったりするじゃないですか?オンラインのADRのことだっていうのを知らないと、こういう省略形って耳にも残らない。そういうこともあるのでやっぱり、知ってるつもりになってる言葉でもちゃんと一回読んでおくっていうのは、すごく大事だなぁと思います。

岡本 被災して初めて、やれ「罹災証明書」だ「自然災害債務整理ガイドライン」だというニュースや広報などを見聞きしても、なかなか自分事として情報が来たことに気が付けないと思います。一言でも、災害前の段階から知識として持っておくことが大事だと思いますので、災害時の様々な制度の知識は、義務教育段階など、子どもたちへの法教育の一環としても実施してほしいと願っています。

ぱうぜ 生き抜くための法教育、というわけですね。

岡本 裁判とか刑罰とかのイメージじゃなくて、実は法律って役に立つんですよ、というような。そんなメッセージも、書きながら気づいたところです。

ぱうぜ 法学とか法律というものを拡張していくというか、再定義していく試みでもあるということですね。実際、災害復興法学という分野を立てること自体も一つの法学の拡張ですが、実は最近そういう議論が他の文脈でもありまして、たとえば、今後脳と機械がつながった場合を法学の観点から考えようというような研究も進んでいたりします。そういう意味で、災害復興法学というのは一般の法律に対するイメージを変える大きなきっかけになる分野だと思います。

 よく法教育をやっておられる先生方もおっしゃいますが、やっぱり世間の法学のイメージってどうしても刑事ドラマとかそういうイメージが強くて、国家警察権との関係であるとか犯罪への対処であるとか、あるいは離婚とか。もちろんそういう面も大事なんですが、社会を制御したり整えていくために作られている制度の道具として法を使っているんだという面と、新しい課題が出てきた時にどのように法を使ったり直したりしていくのかという面、その両方が求められるわけです。

 災害復興法学はおそらく、その両方をカバーしている各論分野で、しかも各論なんだけれども、災害時という時点で見るともう完全に総論、すべてをカバーしている分野なんですよね。そういう意味でこの本は、大災害にあった時の社会の英知を積み重ねるための一つの道具として法が使われたりしたことや、法だけじゃなくて民間支援とかも含めた社会の努力を、「使える」形に整理し直した本だといえると思いますね。

岡本 ありがとうございます。まさに、千葉大学のぱうゼミ(ぱうぜ=横田担当の「行政法演習2」のネット上における愛称)でお話をさせていただいた時も、意外に法律というのは、決して変えられないものではなくて変えられるんだ、むしろ立法事実があればちゃんと改正をし続けなきゃいけないものなんだ、と話しました。特に災害というのは毎回予測不能のことが起きるので、実は法律もその都度変えていかなければいけないし、そういう宿命なんだということは、お伝えできたように思います。

 法学を学ぶ人たちは、法学というのはすでにある法律を解釈するものなんだと思っていることが多いと思います。法解釈学も大事ですが、必ずしもそこだけが法学ではないんです。そのことは機会をとらえてもっと多くの方へ伝えられたらいいなあと常々思っています。もちろん、『被災したあなたを助けるお金とくらしの話』もその一つの材料にしていきたいです。

 

【後編はこちらです】

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