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第3回前編:何周も回ることを恐れずに~インプットの心がけ

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講義中盤でつまづいて

法学系の講義は、大教室で行われる事が多い。
講義が進んでしばらく経ち、出席者数が落ち着いてくると、学生からこんな質問をもらうようになる。
「講義を受けていても身についている感じがしません・・・勉強法が間違っているでしょうか?」
前の方に座って真面目に聞いている学生ほど、講義中盤にこのような心配をし始める。
よくよく聞いてみると、初回講義では大変面白そうだと思ってわくわくしながら聞いていたものの、ある回を境によくわからないところが増えてきて、まごまごしているうちに次の回がきて・・・と、悪循環に陥ってしまったようだ。
聞いているうちに、私自身も法学を学習し始めた学部2年生の頃は、学ぶ順番がよく分かっておらず、もったいない講義の受け方をしていたことに気がついた。
そこで、第3回では、インプットの心がけとして、【前編】では法学のインプットをするときに知っておいてもらいたいことについて、【後編】では、大教室で行われる講義と自分で学ぶ「自学」の関係について考えよう。

「1周目」ではクリアできない理由

法学の学習は「一周目では完全にクリアできないRPG」のようなもの、と言ったら真面目に勉強しようとしている学生に怒られてしまうかもしれない。
けれども、これこそが法学の学習において「自学」が必要な理由であり、私自身がよくわかっていなかったことなのである。
なぜ2周も3周もする必要があるのだろうか。

第2回【後編】では教科書の読み方について言及し、まとめの一文でこのように書いた。

教科書は、「薄く広く」読む読み方と、「狭く深く」読む読み方と、両方の読み方ができるからこそ手元に置いておく価値がある。

この一文を書いた理由は、私自身がやっていた授業準備のための予習が良くなかったなあと反省しているからである。
法学部2年生の頃、私はバイトとサークルにあけくれながら法学系の基礎的な科目(憲法の人権部分、民法総則、刑法総論にあたる講義)を受けていた。遠距離からの電車通学(片道2時間)だったので、電車に教科書を持ち込んで、とりあえず次の講義で扱いそうなところだけ読んで講義を受ける。ノートをとる。そしてまた次の講義のところだけ教科書を読む。それだけを繰り返して、テスト前に慌てて読み返すと、最初のほうがよくわからない。またその部分だけ読む・・・といった具合である。いまから振り返ると、たしかに講義を受けるための予習はやっていた。自分でも真面目だなあと思っていた。しかし、これは「狭く深く」読む読み方だけで、非常にもったいない。
おそらく、当時の私は、「自分は国語が得意だし、一度しっかり読めばわかる」と思っていたフシがある。でも、よくわからない。ああ、読めばわかるはずなのに、どうしてわからないのか。法学、向いていないんじゃなかろうか。
…とすっかり落ち込んでしまったけれども、これは「講義を真面目に受けていればだいたい理解できるはず」という思い込みからスタートしている。しかし、今ならば言える。「1周目」を授業でするのはもったいないのだ。

初見ではわからないことがたくさんある

なぜ、当時の私は「講義を真面目に受けていればだいたい理解できるはず」と勘違いしたのだろうか。かつての私のように「その都度、その回の授業でやるところだけ教科書を読む」やり方だけしていると、たちまち困ったことになる。

1 新しい語句についていけない

はじめて学ぶ人にとっては、どの言葉が重要な語句かわからなかったり、一般の意味とは違う意味で使われている語句に気がつかないということがよくある。
また、何と何とが「似ているけれども違う語句」なのか、そもそも「似ているけれども違う語句」の存在に気づかないこともある。
たとえば、民法総則の講義では、こんな板書がされる。

後見
保佐
補助

成年後見制度の「後見」「保佐」「補助」という3つの言葉について、普通の感覚では「後見」という言葉は後ろから見ているだけのように思えるかもしれないし、「保佐」と「補助」が同じような意味に聞こえるかもしれない。しかし、これらは民法上明確に区別された言葉であり、普通の感覚とは異なる意味内容を持つから、意識して違いをおさえなければならない。この講義では、「行為能力」という概念を習うはずだけれども、成年被後見人(成年で、後見開始の審判を受けた者、民法8条)、被保佐人(保佐開始の審判を受けた者、民法12条)、被補助人(補助開始の審判を受けた者、民法16条)は、どのような違いがあるか(民法7条から21条をみてみよう)、きちんと考えながらノートをとらないと、「取消し」ができる範囲はどこまでなのか、「同意」を受けなければならない範囲はどこまでなのか、「催告」(さいこく)という言葉と後見/保佐/補助の関係がどのようになっているかを聞き漏らしてしまうだろう。

もっと言えば、聞いたこともない言葉は、ノートが取れない。上述の例でも、講義で「ホサ」と聞いたときに書き取ろうとすると、予習なしでは「佐」なのか「佐」なのか迷ってしまうだろう(民法上の用語としては「保佐」が正解)。それだけではない。以下の言葉はどうだろうか。

ソショウとヒショウ
コウフ
ザイガイホウジンセンキョケンソショウ

やや早口の先生が、これらの言葉を述べたとき、あなたはすぐに聞き分け、書き取れるだろうか*1?単に文字が難しいというだけでなく、同じ発音でぜんぜん違う意味の言葉まである。
上に上げた例についてみてみよう。「ヒショウ」という言葉は、「費消」か「非訟」か。ここでは「訴訟」という言葉と対になっているので、「非訟」が正解。次の「コウフ」ということばは、いつもこんがらがりがちである。「公布」か「交付」か、これは文脈でわかるけれども、答案で書き間違えが頻発する語でもある。
「ホウジン」は、普通は「法人」という言葉を言っていることが多いだろうが、先に出した「ザイガイホウジンセンキョケンソショウ」は有名な事件のニックネームであり、「在外邦人選挙権訴訟」の「邦人」、つまり日本国籍を有する人という意味である。一度聞いただけではまったく意味がわからないかもしれないが、事件の概要を知れば間違わなくて済む勘違いである*2
似たような言葉が連続して出てくることもある。

事実の錯誤論、具体的事実の錯誤、抽象的事実の錯誤、客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤

これらは何を指していて、どれが同じ階層の言葉で、どれとどれとが違うのだろうか?刑法総論の錯誤論は、「~の錯誤」という言葉が色々な階層で出てくるけれども、初見では戸惑うばかりであろう。もう一度読んでみてはじめて、何によって区別されているのかを注意しながら読むことができるようになる。
初見の言葉は区別が難しく、定義や意味を正確に理解することが難しい。「似ているけれども違うもの」があることをひとつひとつ押さえていこう。

2 他の箇所との関連でようやく理解できることもある

法学の学習では、序盤の講義で出会う語句が終盤の講義で出会う語句と密接に関連していることがしばしばある。特に、民事訴訟法や刑事訴訟法のような「手続法」はその傾向が強い。刑事訴訟法は捜査段階の手続を学んでから公判段階の手続を学ぶことが通常だけれども、捜査段階で違法に取得された証拠がどのような位置づけを与えられるのかは、公判段階の手続を理解しないと正確にはわからない。
もっといえば、他の教科で学ぶことも踏まえて考えないと理解できない記述もかなりある。とくに、「どうしてこんなことを決めてるんだろうか?」と思うときは、他の箇所を学んでから戻ってくる方が理解しやすいことが多い。
【なお、以下の記述はある程度法学を勉強してからでないと納得できないかもしれない。以下の記述自体も「他の箇所を学んでから戻ってくる方が理解しやすい」記述であることをお断りしておく。】
たとえば、私自身は刑事訴訟法の「訴因変更手続」(そいんへんこうてつづき)がいつまでたってもしっかり理解できなかったのだが、これは刑法総則の段階で「罪数論」(ざいすうろん)の理解をサボっていたことに起因する。
まず刑法総論でいう「罪数論」とは、「行為者が複数の罪を犯した場合における法的処理」のことであり、1個の罪なのか複数の罪なのかを区別する問題と、複数の罪をいかに取り扱うかの問題を扱っている*3。刑法総論の講義では最後のほうに学ぶ事柄であり、学部2年生の私には応用問題すぎて理解できなかったので放置していた。正直なところ、何のためにする議論なのかがよく分からなかったのである。
次に刑事訴訟法での「訴因の変更」とは、「検察官が、被告人の罪責に関する主張内容を変更すること」であり、わかりやすい言い方をすれば「起訴状の『公訴事実』の記載欄の内容である訴因を書き換える」*4ことである。
ここまで聞くと、両者はあまり関係がないように思えるかもしれない。しかし、訴因変更が可能かどうかを決める「公訴事実の同一性」(刑事訴訟法312条1項)という要件について考えるときに、刑法総論での罪数論の理解が不可欠になっている。たとえば「家に忍び込んでいただけでなく、財布も盗んでいたことが後になってわかった」というときに、「住居侵入罪と窃盗罪」のふたつが別々に成立するのか、それともひとつにまとめ上げて考えるべきなのかという、刑法総論での罪数論の議論が出てくるのである*5
学部2年生の刑法総論のときに罪数論を適当にかじっていただけだった私は、刑事訴訟法の場面で苦手な罪数論が出てくることに大慌てして、思いっきりつまづいてしまった、というわけである。ここできちんと刑法総論を学び直せば良かったのであるが、中途半端になってしまったために、いつまでも苦手意識が取れなかった。
また、民法担保物権の部分は、債権を取りたてる手続としての「民事執行法」を理解していないと、どういうことなのかがわからない。「お金を貸します」「借ります」という契約によって債権が発生するという場面のような、権利の発生や変更、消滅について定める「実体法」と、その権利を実現するためにどういう風に裁判をするか、裁判をしたあとにどうやって取立てるかという実現過程を表す「手続法」というのはつながっていて、手続法のイメージができていないと、実体法でよく考えておかなければならない問題が見えてこない、ということがよくあるのである。
これらは、2周目・3周目になるとようやく見えてくる面白みでもある。

3 教科書と条文の関係がわからない

第2回【後編】でも指摘したように、「教科書読んでおいてね」という指示を出すと、文字通り「教科書をそのまま読んでいるだけ」で済ませている学生が多い。しかし、教科書は実際のところ法律の条文を前提に、その条文の内容や今までの解釈などを書いている。だから、条文の文言(もんごん)がどのようになっているかを確認して、どんな文言を出発点としているのかがわからないと、教科書の記述がなぜこのようになっているのかがわからなくなる。
また、教科書だけを読んでいると、ある条文と次の条文のつながりを見失ったり、すこし離れたところにある条文との関係を見落とすこともある。期末試験でいざ問題に取り組むときにはじめて条文をみるような状況では、誤った条文を引用したり、ぜんぜん関係のないところを参照してしまうことになる。

教科書の「順番」が学びやすいとは限らない

もっと言えば、第2回【前編】でも触れたように、教科書が「体系書」タイプである場合には、「ある程度法学の科目の知識が溜まっていかないとわからない」事柄まで書いてあることが多い。辞書のように使うこともあるくらいだ。そんな本をはじめてその分野を学ぶ人が隅々まで理解しようとすれば、いくら時間があっても足りなくなってしまう。
ここでも、高校までの授業と大学での学びの違いが反映している。高校までの授業は、系統立てて教えるために何年生で何を教えるのかが決められていて、それにそって教科書も作られている。
しかし、大学の授業で使われている体系書はそうではない。学問としての体系を意識して順序が決められている。テキストとして編まれた本でも、体系書としての機能を果たすために「教える順番」向けの並びにはなっていないことも多い。どのような講義方法をとるかどうかは先生によって違うけれども、「教科書なのだから頭から素直に読めばすべてわかるようになっている」とは限らないし、それを期待してはいけない。実際に、指定した教科書とは違う順番で講義をしていく先生もいる。

「鳥の目」と「虫の目」を交互に使う

それでは、どんな順番で学べばよいのだろうか。
法学初学者の皆さんは、「何周も回らないとわからないこともあるのだ」ということを前提に、勉強をすすめてもらいたい。それは、「わからないことにいつまでもこだわってないで先に行こう」ということでもあり、「法学学習は3周くらいしなければわかるとは言えないくらいに奥深いのだから、安易にわかったつもりにならない」ということでもある。
ある街の地図を作ろうとしているのだと考えて欲しい。
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建物が建ち並んでいるけれども、最初はどこに誰が住んでいるのか、どんなお店があるのかもわからない。そのとき、街を自転車に乗りながら回ってみて、どのあたりにどんな建物があるのか、特徴のある交差点はどんな名前なのか等をメモしていく。このような俯瞰的な視点が「鳥の目」である。
これに対して、一つ一つの建物に自分の足で上っていって、階段の配置や、部屋ごとの大きさや表札などを見て回るのが「虫の目」である。これは恐ろしく時間がかかるけれども、一つ一つの建物について詳しく考えるためには欠かせない作業であろう。
何周もしなければならないのに、最初から全ての項目を細かいところまでよく観察する「虫の目」だけで挑むのは、無謀である。先に進んでから戻ってこないと見つからない隠し通路もたくさんあるのだから、怪しそうなところをメモして次の階に進む勇気も必要である。
他方、全体のつながりを意識して、項目の重要そうなところだけをつまみ食いしていく「鳥の目」は、学習のスピードはとても早いかもしれないけれども、それだけで理解したというには甘い。「あの建物とこの建物、つながっているみたいだ」というところまではわかる。しかし、どのようにつながっているのかは、実際に歩いてみないとわからないだろう。
ここでは「鳥の目」と「虫の目」を交互に使うことを薦めたい。さらにいえば、講義「だけ」で理解できる人なんて最初からいないのだ、ということを心得ていただきたい。

次回予告

教科書のつきあい方と「何周も回ることを恐れない勇気」とを踏まえて、実際にどのように勉強していけばよいのかを考えてみよう。法学部での学びを構成する【大教室講義・少人数ゼミ・自学のトライアングル】*6のうち、大教室講義と自学の関係について考えよう。インプットの心がけ、実践編。

第3回【前編】まとめ

  1. 1周目は「似ているけれども違うもの」を知るだけでも精一杯なのが当たり前
  2. 2周目以降でようやくわかる面白みもある
  3. 「鳥の目」と「虫の目」を使い分ける

*1:注意:この記事をお読みの皆さんの中には、聞き取った言葉を書き取るまでの一連のプロセスに何らかの困難を抱えている人もいらっしゃるかもしれない。高校までに板書を写すだけで済んでいた場合には気がつかず、大学になって初めて自分の特質に気がつく場合もあるという。この記事ではそのようなパターンを想定した記述にはしておらず、訓練で向上するパターンについて記述しているが、困難の可能性について思い当たる節がある場合には適宜の機関(学習支援室等)に相談することを薦める。

*2:初出時、在留と在外とを誤って掲載しておりました。申し訳ありません。法人と邦人の違いに気をとられてもう一つ大事な事件のポイントを誤記してしまったことからすると、この箇所も「わかってても書き間違えることはあるが事件をわかってないと思われかねずとても恥ずかしい」とすべきかもしれません。慎んで訂正させていただきます。2015.6.13 6:59 追記

*3:山口厚『刑法(第3版)』(有斐閣、2015年)180頁。

*4:緑大輔『刑事訴訟法入門』(日本評論社、2012年)227頁。

*5:参照、緑大輔・前掲244頁。

*6:横田明美「法学部って何だっけ?-法政経学部の教員から」法学セミナー725号(2015年6月号)39-42頁。詳しい内容は第3回【後編】で補足予定。

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