第6回前編:学部生には見えない世界~法科大学院、博士課程でみえてきたこと

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改めて:10年前の自分たちに

真夏の暑さも一段落して、この連載も第6回、もうすぐ折り返し地点にさしかかろうとしている。第5回までの話で一応ひとまとまりなので、ここまでを連載の前半とし、今回は改めて「10年前の自分たちに語りかけるなら」というこの連載のコンセプトに立ち戻って考えていきたい。
第6回【前編】では、まだまだお話ししていない「学部4年生の頃には見えていなかったけれども、法科大学院ロースクール)や研究者向けの博士課程に進学してから、そして博士論文を書いてからようやくわかってきたこと」について、少しずつ触れることとしよう。第6回【後編】では、その中でもひときわ進路選択に影響があった「行政法のプロはどこにいるのか?」という疑問を掘り下げてみることを通じて、将来の進路を考えるときに気をつけるべきことについて考えてみよう。

法科大学院で気がついたこと

それでは、学部を卒業して法科大学院に進学したときに、戸惑ったことや気がついたことについて語ることから始めよう。
なお今回は項目を出すにとどめ、詳しい内容は主として第10回(2016年1月更新予定)に譲ることとしたい。

1)「止まっているもの」から「動いているもの」への変化

まずは、抽象的な話から入ろう。学部時代の勉強はいわば「止まっているもの」についてひとつひとつ覚えていくような勉強であったのに対し、法科大学院での勉強ではこれから法律の世界での意味づけを決めていかねばならないような、よくわからないものについて、すなわちまだ評価が定まらない、「動いているもの」についてどのように考えるべきかが問われている、ということである。法律相談の最初の段階では、依頼者が言っていることが何に分類されるべきことがらなのかはわからない。依頼者はしきりに「詐欺師にだまされてお金を取られました!」と言っているけれども、「だまされた」ということばからすぐに「詐欺」(民法96条1項)という評価に飛びついてはいけない。ひょっとしたら、単なる勘違いかもしれないし、法律用語でいう「詐欺」の範囲と、依頼者が日常語として理解している「詐欺」の範囲が違うかもしれない。また、本当に「だまされた」と言っているような事情があるのかどうか・・・・・・この事実のひとつひとつについても、最初から明らかというわけにはいかない。ひとつひとつ、証拠を見つけて立証して、事実を認定していかなければならないのである。

2)手続を流れで覚える重要性

次に目の当たりにしたのは、民事訴訟規則・刑事訴訟規則を民事訴訟法・刑事訴訟法の条文とセットで、それも流れに即して覚えていくことの重要性である。これが意外と難しい。実際の事件では、いつ、どのタイミングで「ちょっと変だなと思うこと」が起こるかわからない。そのとき、本来であればどういう手続で流れていくべきなのかがしっかりと頭に入っていなければ、「あれ、変じゃないかな」と気がつくことができない。そして、何が「本来の手続の流れ」なのかを判断するためには何を参照すべきかというと、大枠は民事訴訟法・刑事訴訟法レベルで書いてあるけれども、細かいところは民事訴訟規則・刑事訴訟規則のレベルで決まっている。私自身も法科大学院で学んでいくうちに、結構細かいことまで規則に書いてあるということに気がついて、一時期は六法を訴訟法用と訴訟規則用というように2つ並べて勉強したこともあった*1

3)あこがれている対象も、同じ「人間」であること

さらに、法科大学院に入ってうれしかったことは、教員との距離がとても近くなったことである。法学部の大教室講義では一段高い教壇にいた先生たち*2法科大学院では、その教員たちと直接言葉を交わしながら通常の授業が進んでいく。講義後の質疑応答にも、親身に応じてくださる先生が多かった。また、大学の教授・准教授だけでなく、現役の弁護士・検察官・裁判官からも直接指導を受けることができる。これらを通じて、自分たちがあこがれている法曹や研究者という職業が、遠い世界のことなのではなく、自分たちの「先輩」であること、やや大げさな言い方をすれば同じ「人間」だということがわかった。
そこでの交流によって、法律の実務家として生きるということはどういうことなのか、どのようなプロ意識を持って日々の活動がなされているのか、等身大の経験談を交えながら話す先生方を見て、自分の行く末を考えることができた。

4)「リサーチ」の手法を訓練する

法科大学院の授業では、研究者教員の授業でも、実務家教員の授業でも、大量に裁判例判例評釈を読むことになった。しかし、リサーチにかけられる時間は自ずから限られている。文献収集はどのように行うか、文献やデータベースの取り扱い方に習熟するのはもちろんのこと、どのあたりを調べれば必要な情報が手に入るのか、どのように読めば自分の理解が十分なレベルに達するまでの時間を短縮できるのかなど、かなりの負荷をかけたトレーニングを積んだ。
とりわけ、「時間が無い!」ときの優先度のつけかたや、「やって良いショートカット」と「手抜き」の境界線はどこにあるのかなどは、実際にやってみてはじめてわかってくるものであった。とりわけ、調べる途中で考えたことをメモしておくことの重要性は、このリサーチトレーニングの中で身についたといって良いだろう。

法科大学院は「動きのある流れ」に対応する力をつけるところ

これらの印象をまとめると、法科大学院での学びは、動きのある流れにも対応できるような訓練を積むところであった。学部までの学びと切り離されていたわけではなく、同じことを少し違う角度からながめるような・・・たとえて言うならば、学部までの学びを縦糸、法科大学院での学びを横糸として、それらを組み合わせて織物を織っていくような気持ちだった。静的に学んでいた学部の知識に、動的な視点を法科大学院での学びで付け加える、というようなイメージである。
イメージだけでは伝わらないかもしれないので、上述の例を掘り下げてみよう。よくわからないもの、「動いているもの」に法的な位置づけを与えるため、物事を区別して見極めるためには「ものさし」を持っていなければいけない。一見「詐欺」にみえるものでも、事情をよく調べていくと、「虚偽表示」や「強迫」、「錯誤」と紙一重かもしれない。どういう要件があれば法律上も「詐欺」と呼べるのか・・・・・・これらがあらかじめ頭に入っていないと、依頼者から話を聞いたときにどんなことを調べてどんなことを聞き出せば良いのかがわからない。このように、学部での勉強は「ものさし」として生かされる。

博士課程に入ってようやく気がついたこと

法科大学院を修了した後、私は研究者養成を目的とした博士課程に進学した(以下、法科大学院との対比の意味で研究大学院*3という)。かつてTwitter上で #ローから研究者へ というハッシュタグTwitterで、検索を容易にするためのキーワード機能)をつけて連続ツイートをしたことがある。そこでは、法科大学院から研究者養成に行くために、どのようなことを考えて法科大学院生活を送っていたのか、そして実際に進学したあと、どのようなことが役に立ったのかを述べた。
ぱうぜさんのローから研究者を目指す人へのアドバイス - Togetterまとめ
当時、博士論文執筆中でした

ツイッターでの「#ローから研究者へ」祭り編集後記 - カフェパウゼをあなたと
あまりに理想論を語りすぎたので、自分のブログで補足説明をしました

この連続ツイート企画の後、なんとか博士論文を執筆して、学位を得ることができた。今改めてこの連続ツイートとそれに対する先輩・後輩たちの応答とを読み返してみて「法科大学院を出て博士課程で気がついたこと」を再構成すると、以下の通りである。
これらについても詳しい内容は第12回(2016年3月更新予定、本連載の最終回)に委ね、ここでは項目のみあげることにする。

1)時間の流れ方が違う

まず、最初に面食らうのは、国家試験という目標が設定されており、カリキュラムも固まっている法科大学院と比べて、研究大学院に所属する院生の生活には指針となるものがない、ということである。たしかに授業はあるものの、どのような内容になるかは院生の研究テーマや教員の関心によって異なるし、何よりも時間の使い方が大きく違う。朝型の人もいれば、夜型の人もいて、研究会などの予定が無い限り、どのように時間やリソースを使うのかは個人の問題であることが多い。

2)成果の評価軸が違う

考えてみれば当たり前のことなのだが、実務家になるために求められる能力と、研究者になるための能力は、重なるところもあれば大きく異なるところもある。「批判的に読み、そして新たなものを生み出す」ということは、言うは易く行うは難し。参考にするために読むのではなく、乗り越えるために読むという発想。このようにマインドセットを切り替えるだけでも、半年くらいかかってしまった。

3)「ここまで知ってて当たり前」のレベルが違う

「なぜ行政法の先生達はロー生が知らない下級審判例を知っているのか?」
と思ったことがある法科大学院生は多いだろう。下級審判例どころか、個別法の仕組み、よく問題になっている事件類型など、「なんでそんなことまで知っているだろう」と思うことが、博士課程進学後の最初の1年間にたくさんあった。しかしそれは判例研究会などでの議論に必死に食らいついていき、わからないものを一つ一つ調べていくことで、積み上げることができる知識だった。研究者には研究者の「当然」といえるレベルがあって、たとえ狭義の専門とは異なっていたとしても、だいたいのことはつかんでいるということも、率直にいって驚きだった。

4)なぜ外国法を学ぶ必要があるのか

法学の論文には、外国の法制度を検討したうえで、日本法を論じるものが多い。これを、「横の物を縦にする」(=単に外国文献を日本語訳して紹介するだけ)などと批判する人もいる。「単に海外の動向を参考にしているだけじゃないか」というわけである。しかし、あくまで一般論として、外国法を学びそれを分析することを通じて、日本の法制度のあり方を相対化するための視点が得られることは疑いようがないだろう。また、「外国法文献を丁寧に精読する」という訓練を受けるのは、なにも当該外国語について詳しくなるためというわけではない。いくつも考え得る訳語候補のうち、なぜその語を選ぶのかについて、ひとつの文に対して30分もかけることはよくあることである。そのとき問われているのは、外国語の能力だけでなく、訳語選択における日本語の能力、論理的思考力、そして当該国と日本の制度の比較ができるだけの双方についての知見の深さである。このように、テキストを分析する能力は、外国法文献の分析によって鍛えられる面が大きいように思う。

5)ローでの経験は活きる!

ここまで「研究大学院と法科大学院とは違う」と何度も書いてきたけれども、上述の連続ツイートでもっとも言いたかったことはこれである。あえて標語的に「ローでの経験は活きる!」という小見出しをつけてツイートした。視点も方法も専門性も違うけれども、法科大学院(ロースクール)で得た知見と研究にはリンクを張ることができる。私は既に法科大学院を修了して7年経つけれども、実務家向けの文献判例収集方法、研究者とは異なる立場からの視点、様々な法律問題に直面する実務家には不可欠である広範な日本法全体に対する知見等、法科大学院の二年間で得たことはとても多い。これらを生かして議論ができるよう、日々考えている。それがこのルートで研究者になることができた自分の強みでもあるし、また、法科大学院から弁護士・裁判官・検察官になったり、公務員になったり、コンサルタントになるなど、異なる進路を取った友人たちとのコラボレーションにもつながるからだ。これは、法科大学院を経て研究者になった人なら、多かれ少なかれ感じていることだと思う*4

とまどった「違い」を見ていくと

こうして学部と法科大学院と研究大学院での違いを考えていくと、いくつかの気づきがある。

1)環境が変わると「当たり前」のレベルや内容も変わる

まず、それぞれ環境が変わった直後の半年間は、それに慣れることで精一杯だったということである。法科大学院における「当たり前」のレベルは学部でのレベルとは全く異なるし、研究大学院における「当たり前」のレベルは法科大学院とはまた異なる。それに気がつくことにも時間がかかるし、キャッチアップしていくだけでもかなり大変だ。それこそまさに「修行」と言ってよいほどのプロセスであって、複数の「当たり前」を身につけて考えていくことは大変だがやりがいのあることである。

2)あとから振り返らないと気がつかない「違い」もある

今回の話の基になっているのは、学部時代に執筆していたブログに書きためていた疑問や、異なる道を選んだ同期や後輩からの質問である。学部や法科大学院を出てすぐに弁護士の道を選んだ友人から、ちょっとしたことについての質問がくる。それについて答えていると、相手にとってはぜんぜん「ちょっとしたこと」ではなく、皆目検討がつかない疑問だったということがたびたびあるのだ。もちろん、同じ科目の授業を受けたので、基礎的なことはお互いわかっているから、説明し始めるとわかってもらえるのだけれども…このような差異がわかるという意味でも、同じところから異なる道を選んだ友人は貴重である。

次回予告:「行政法のプロ」の広がり

ここまで、盛大な「連載後半予告」のようになってしまったので、第6回【後編】は、少し具体的な話をしよう。学部4年生の頃、好きな科目である行政法を進路選択にもつなげたかった私は「行政法のプロになるなら、研究者にならないとダメか」と思い込んでいた。今からみれば「思い込み」だとわかるけれども、当時は真剣な悩みだった。ある科目やある関心が生かせる分野というのは、学部生が想像しているよりもずっと広いということを、例や参考文献を挙げながら示していき、大学生活、そして進路選択にあたって、どんなことを心がければ良いのかについて考えてみよう。

第6回【前編】のまとめ

  1. 環境が変わると「当たり前」のレベルや内容も変わる
  2. 発想の違いや物事の進め方の違いにも意識を向ける必要がある
  3. あとから振り返らないと気がつかない違いもあるので、異なる道を選ぶ同期や後輩は貴重である

特に今回の内容に関してお知らせ

研究者志望の学生や実務法曹からご相談をいただく機会が増えています。今回示したリンク先がご参考になることはもちろんですが、個別の事情によりもっと突っ込んだ話をしないといけないこともあるので、私が力になれるようであれば、遠慮無くコンタクトを取ってください。この時期に始めないと間に合わないこともたくさんありますので、あえて書かせていただきました。

*1:なお、法律や規則の条文を覚えるときには、原則と例外とを対比させながら覚えていくようにするとよい。要件や効果を細かく覚えていくときには前回述べた3色ボールペン法の応用版が効果を発揮した。この点についても、第10回などで述べることとしたい。

*2:もっとも、このような印象を持っているのは私の出身大学(法学部の人数がまだ600人だった時代の東京大学法学部)の校風かもしれない。学生との距離の近さは大学によって異なり、現在勤務している千葉大学政経学部は、人数が比較的少ない(目安として、例年の行政法1の受講生は150人程度である)こともあって学生と教員との距離が非常に近く、当初カルチャーショックを受けた。

*3:なお、私の出身大学院である東京大学大学院では、法科大学院と研究大学院は「法学政治学研究科」のなかの別専攻という扱いになっている。法科大学院と研究大学院とをどのような関係にするのかは、大学院によって異なるので注意されたい。

*4:このように書くと誤解を招きかねないけれども、修士課程から博士課程を経て研究者になるルートを貶める意図はない。むしろ、私があこがれていたルートである。念のため。

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