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第2回前編:なんでこんなに分厚いの?~教科書とのつきあい方

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法学部生あるある~教材代が高い

法学部に進学してすごく驚いたことのひとつ、それは「教科書が高いし重いし多い」ということ。私は学部生の頃、かなりたくさんのバイトをしていた。その理由は、法学部の授業に使う教材にかかるお金がとても高く、読みたい本も多く・・・本にかけるお金が飛躍的に増大したからである。ひとつの科目について教科書と判例教材が必ず必要になるし、六法も毎年買い換えないといけない。
教科書リストを手に書店に行くと・・・教科書が一冊とは限らない。ある科目では、教科書指定欄に4種類の本が並んでいた。
「で、どれを買えばいいの?」
「なんでA先生のときとB先生のときだと同じ科目名なのに教科書が違うの?」
「古本屋で買ったら前の版だった…」
このような失敗や悩みは、どの法学部生も経験したことがあるだろう。
また、この10年間はロースクールの登場もあって、法学における「教科書」の事情は大きく変わったように思える。「体系書」だけでなく、学習者を意識した「テキスト」が多数出版されたからだ*1。その変化のあとに教える立場になってみると、そもそも今の学生と私たち以前の世代とでは「教科書」についてのイメージが共有されていないのでは、と気づいた。
そこで以下では、主として憲法民法、刑法、行政法などの実定法科目を想定して、「教科書」というものについて、学生のときにはよくわかっていなかった視点や、いまの学生に伝えたい観点を提供しようと思う。今回は「教科書」の種類について考えよう。

体系書か、テキストか

第1回【前編】で、大学での教科書には決まりはなく、何を指定してもよいことになっていると触れた。そこで、法学の教員はどのような本を指定するのかというと、大きく分けて二つの方向がある。それは、「体系書」と呼ばれる本と、学習や教育のために編まれた「テキスト」である*2

体系書として書かれた本

まず、体系書とはどのような本か。多くの体系書を執筆している伊藤眞先生(民事訴訟法)*3が、体系書執筆者の思いを吐露している随筆*4があるので、そこから引用しよう。

法律学体系書の特質をあげるとすれば、憲法を頂点として、現に施行されている各法令の内容を基礎として、規範を体系化し、個別的規律の解釈や適用のあり方を記述することにあろう*5

このような体系書は、学生や司法修習生の教育においては教科書として、専門家である法曹(弁護士、検察官、裁判官)にとっては問題解決のための指針としての役割が期待されていて、法改正を経たとしても連続する根本原理などの理論を次世代に引き継ぐ役割をも期待されており、そのような役割や責務を果たすに足る書物が体系書であるという*6

別の箇所では、体系書執筆と論文執筆の関係にも触れられている。

体系書とは、ある分野における法規定群を基本原理や基礎理念に照らして体系として整理し、新たに生起する問題への解決のあり方を裁判所などに対して提示する役割を担うべき書物といってよい。
また、研究者の活動として、論文の発表と体系書の上梓との関係には、唇歯(しんし)の関係があり、論文に支えられていない体系書は、虚しく、体系の中に位置づけられていない論文は、殆(あやう)いというのが、私の信念である。*7

初学者の人たちにはピンと来ないかもしれないけれども、ここの表現は非常に手厳しいものである。その分野すべてについての研究をしてから体系書を書くべし、そして書いた後も不断に研究を続けて改訂すべし、ということを述べているからである。この「研究」ということばがくせ者で、学生の皆さんからみれば「行政法の先生は、行政法学すべてについて教えられるでしょう?」と考えるかも知れない。しかし、実際に教える立場になってみると、各項目の歴史に遡ったり、まだ解決出来ていない課題に見通しを与えようとすれば、わからないことばかりである。自分ができるのは、「現在こう考えられている」ということをきちんと伝えることだけ、という項目も多い。「ああ、研究していないことについては体系書は書けないのだなあ」としみじみ思う。そこで、上述の伊藤眞先生の言葉がずっしりとのしかかってくるのである*8。ここに、「教えることができる」レベルと、「体系書を執筆できる」レベルの間にある高い壁がある。
伊藤眞先生のことばをふまえると、体系書執筆というのはもう一段高いハードルがあって、その本が対象にしている範囲すべてについて透徹した解釈論と立法論とを指し示すようなレベルでの理解と見解が必要だ、というのだ。そして新しい事象の登場も踏まえて頻繁に考え直されなければならないというのである。自分自身が興味がある分野について論文を1本執筆するのでもとても大変なのに、体系書執筆者というのはそれを体系書が対象にしている範囲すべてについて不断に続けていかなければならないというのだから、これはもう気の遠くなるような話である。
そして、そのように書かれた本は、だいたいの場合とっても分厚く、それゆえにお値段も高い。困ったことがあって参照しようとすれば、執筆者の見解だけでなく、そのとき参照すべき論文や他の本についても脚注で詳しく書いてあるのが通例である。そこで、教科書としてだけでなく、むしろ辞書のように使われることがある。
たとえば江頭憲治郎『株式会社法(第6版)』(有斐閣、2015年)は1048頁あるし、金子宏『租税法(第20版)』(弘文堂、2015年)は1082頁ある。
株式会社法第6版 | 有斐閣
租税法 | 弘文堂

これらは重大な法改正や判例の登場、そして学説の進展にあわせて何度も改訂がなされている、体系書の王道といえる。

テキストとなることを意図して書かれた本

そうすると、法学っていうのは高くて分厚い本を読まないと勉強出来ないのだろうか?そんなことはない。まったくの初学者に1000頁を超える本を薦める教員は…おそらくいないだろう。教科書指定される本のなかには、体系書としての緻密さよりも、講義での教材として、学習書として用いることを意図して書かれたものもたくさんある。
なお、上では「体系書の改訂」の大変さについて説明したけれども、テキストだからといって、改訂がなされていないというわけではない。毎年更新されていく社会情勢に合わせた不断の改訂は、講義での教材としての性質上避けては通れないものとなっている。この「改訂の圧力」に耐えられるかどうかもポイントとなる。
こちらのタイプには、大きく分けて2つのパターンがあるようだ。

1)既に体系書を執筆した著者によるテキスト版

数巻に及ぶ体系書を執筆した著者が、「基礎的事項を学びたい」という声に応えて新たに書き下ろす場合も少なくない。たとえば、私自身が教科書として指定された本はいずれも数巻にわたる体系書であったが、幾つかの科目においては、その後同一著者による「一冊本」が出版されている。
行政法を例にすると、宇賀克也『行政法概説Ⅰ~Ⅲ』(有斐閣、Ⅰは第5版(2013年)
、Ⅱは第5版(2015年)、Ⅲは第3版(2012年)が本記事執筆時最新版)と同『行政法』(2012年、有斐閣)がその関係にある。
行政法概説1第5版 | 有斐閣
行政法概説Ⅱ第5版 | 有斐閣
行政法概説3第3版 | 有斐閣
行政法 | 有斐閣

また、刑法においても山口厚『刑法総論(第2版)』(有斐閣、2007年)と『刑法各論(第2版)』(有斐閣、2010年)が体系書であり、『刑法(第3版)』(有斐閣、2015年)が総論と各論とを一冊にまとめたテキストという扱いになっている。
刑法総論第2版 | 有斐閣
刑法各論第2版 | 有斐閣
刑法第3版 | 有斐閣


これらは、元にされた体系書の記述よりも、わかりやすさや手に取りやすさに意を払って執筆されている。もっとも、テキストとしての性質上、簡潔すぎて著者の考えがつかみにくいこともあるかもしれない。その場合は、同一著者の体系書に戻って、著者自身の考えや、それ以外の考え方を示す脚注等を確認するのが良いだろう。

2)数人で共同執筆されているテキスト

教科書として使われることを意図して、数名の執筆者による分担・共同執筆で書かれているテキストである。出版社のシリーズものとして刊行されることもある。
・・・こちらについては、あまりに該当書籍が多いので、具体的な書名を上げることは控えておく。
こちらも、一冊で一定の範囲をきちんと学ぶことを意図しつつ、共同執筆者同士の議論も踏まえながら書かれていることが多いようだ。分担・共同執筆になる事情は色々あるだろうが、多くの場合はその分野について研究も教育も行っている人を執筆者としている。研究者としても教育者としても日々深く考えているからこそ、よりわかりやすい説明を心がけることも、「改訂の圧力」にも耐えることができるのである。

あなたの教科書は?

体系書か、テキストか。あえて二分法で書いたけれども、実際は両方の性質を有している本が多い。主として教育を意図して書かれたからといって体系書の機能がないというわけでもなく、体系書として書かれたものが学習書として使えないというわけでもない。しかし、あなたのお手元にある「教科書」が、何を意図して書かれたものなのかを知っておいてもらいたい。

分厚くなる理由はそれぞれ

やたら分厚い本の場合は、体系書を意図して書かれていることが多いだろう。プロが迷う場面においても、指針として機能する。そんな期待を背負っている体系書は、様々な見解や事例に対してのコメントが入っているし、それらにアクセスできるように脚注もしっかりついている。そうなればどうしたって年々分厚くなるもの。
また、テキストとして編まれた本でも、上述のように、体系書執筆者による「今までだと3~4冊になっていた本を1冊にまとめました」というタイプの本もある。
先に紹介した本に加えて、潮見佳男『入門民法(全)』(有斐閣、2007年)はそのことがタイトル中の「全」ということばにも現れている。1冊で「民法総則」、「債権総論」、「債権各論」、「担保物権」、「家族法」・・・数科目分を扱う以上、どうしたって分厚くなるものである。
入門民法 全 | 有斐閣
ただ、分厚くなればなるほど初心者や学習者にとってはつらいものがある。そこで、体系書であることを意図しつつ、真摯な改訂によって増量した分にあわせた減量をするために工夫が凝らされている本もある。たとえば水町勇一郎労働法(第5版)』(有斐閣、2014年)の「第5版はしがき」に、その苦労が現れている。とくに「旧版まで巻末にあった就業規則例等を有斐閣のホームページに移す」工夫は、画期的である。詳しくは出版社Webサイト参照。近時の法改正等に対応した「補遺」もあわせてアップされている。
労働法第5版 | 有斐閣

「はしがき」は著者からのメッセージ

このように、本の厚みや見せ方には著者それぞれの事情がある。皆さんは講義担当者から指定されるままなんとなく買うか買わないかを考えているかもしれないけれども、まずは書店や生協、教科書販売所でその本の「はしがき」を読んでみてほしい。どのような経緯で執筆に至ったのか、どのような読者に配慮して編まれたものなのかがわかるようになっている。
この原稿執筆中に、「弘文堂スクエア」の新コンテンツとして、「はしがき・あとがきギャラリー」がオープンした。
はしがき&あとがきギャラリー | 弘文堂スクエア
はしがき・あとがき好きにとっては歓喜。

ここに掲げられている各種の書籍(条文毎に解説する専門書、論文を集めた論文集、テキストとしての教科書等々)のはしがき・あとがきをみるだけでも、実にさまざまな経緯で書籍ができあがったことがわかる。
著者の試みや狙いが成功しているかどうかの判定は読者であるあなた自身に委ねられているとはいえ、まずは著者からのメッセージを受け取ってほしい。小難しく思える本の背景にも、熱い想いを込めた「筆者」や、それを支えた人達がいることがわかるだけでも、少しは本とつきあいやすくなるだろう。

どうしても分厚さに耐えられない人には入門書を

とはいえ、あまりの分厚さに挫折する気持ちもよくわかる。また、法学学習においては、全体像をつかんだり、興味をかき立てるように読んでいく読み方も有効である*9。そこで、授業としての教材に用いられることはあまり多くはないものの、良い入門書を手元に置いておくことは非常に心強いものである。ここでは、ハンディなサイズのものを中心にシリーズ名を紹介すると、弘文堂のプレップシリーズ有斐閣のアルマシリーズ*10、そして信山社のブリッジブックシリーズなどがある。これらで全体像をつかんでから「教科書」にトライするのも良いだろう。特に電車で長い距離を通学・通勤する人には、ぜひこの方法を検討してみてほしい*11

次回予告

それでは、法学の講義を担当する先生達はどのような思いで「教科書」を指定しているのだろうか?特に、自分が執筆していない本を指定する場合、講義担当者と教科書著者の関係はどうなっているのだろう?次回は、講義担当者によって異なる「教科書の扱い方」を紹介して、どのように講義を受ければよいのかを考えたい。

第2回【前編】のまとめ

  1. 教科書には「体系書」も「テキスト」もある
  2. 著者の意図は「はしがき」に書いてある
  3. 分厚さに耐えられないなら「入門書」もあるよ

*1:あわせて、「演習書」も多数出版されたが、今回は割愛する。

*2:他にも「基本書」、「概説書」、「学習書」という呼び方もあるけれども、何をもって「基本」というのか、「概説」というのかは難しい問題なので、ここでは二つの方向として整理したい。

*3:東京大学教授・元早稲田大学教授。余談だが、蝶ネクタイがよく似合う先生で、私自身にとっては初めての法学入門講義の教員でもあり、その後ゼミでも師事した先生である。法律をプロとして扱う方の中に同姓同名の先生が少なくとも3人ほどいらっしゃるので、あえてこの注を付した。

*4:伊藤眞「体系書今昔(民事訴訟法)」同『千曲川の岸辺―伊藤眞随想録』(有斐閣、2014年)88-92頁(初出は書斎の窓612号(2012年)7頁以下)、同「体系書執筆者の三憂一歓―『会社更生法』を公刊して―」同書93-100頁(初出は『書斎の窓』23号(2013年)2頁以下)。

*5:伊藤眞・前掲『千曲川の岸辺』88-89頁。

*6:伊藤眞・前掲『千曲川の岸辺』88-89頁。

*7:伊藤眞・前掲『千曲川の岸辺』94頁。なお、ルビ振りは引用者による。

*8:ちなみに、現在私が千葉大学で担当している講義の範囲は行政法総論と国家補償と環境法であり、狭義の意味での専門である行政救済法は担当していない。そこで、講義準備には非常な苦労をした。おかげで気がついた視点も多数あり、とても勉強になる。自分が心底わかっていないことは結局うまく教えることができないから、必死である。おそらく、「教えるために勉強することがとても大変」というのは大学教員あるあるのひとつであろう。

*9:法学学習のインプットについては、第3回【前編】【後編】(6月更新予定)で詳しく取り上げる。

*10:有斐閣アルマシリーズは難易度によって種類分けされており、表紙丸印の色が違う。入門向けは赤・緑。黄・青は教材としてのテキストレベルであることが多い。

*11:自分自身も片道2時間の通学を余儀なくされていたので、これら3シリーズには大変お世話になった。

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