第1回後編:思考の流れを押さえる~実務家・研究者がやっていること

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前回(第1回【前編】)では、未知なるものに挑むために学説をどう捉えるべきかを考えた。続きとなる今回は、「なんで実務家志望でも学説を学ぶの?」という質問に答えよう。ただ、その前に、「出発点となる条文と判例を確認」というときの「判例」について、初学者が陥りがちな(というより私自身が大きく勘違いしていた)ことをふれておきたい。

判例は「異常事態」から生まれる

判例の要旨を覚える」というのも、気をつけなければならない点がある。まず最初に伝えておきたいことは、「判例とは、実は『異常事態』の所産」だということである。
このことは、学部生の私は全く分かっていなかった。法科大学院ロースクール)に進学して、実務家教員に言われてはじめて気がついたことだった。
よくよく冷静に考えてみれば、当たり前のことなのだけれども・・・
なぜ判例が生まれたのかと言えば、多くの場合は原告(民事訴訟行政訴訟)や被告人(刑事訴訟)が頑張ったから。従うべき条文や判例があるのであれば、わざわざ最高裁まで戦ったりしない。いままで積み重ねてきた先例から導かれる結果ではどうしても納得のいかない結論が出たり、条文や判例のデータベースを探してもどうしてもはっきりしていないことがある。そう考えた人が頑張った結果、通常の取扱いでは納得ができない異常なケースに対する対応として(先例的価値のある)判例ができあがるのだ。
もちろん、多くの場合は「この問題については条文はこう書いてあります」「条文からは読み取れないけれども、この判例の事例と良く似ています」というプロのアドバイスや決まった手続のなかで処理される。そのルートに乗らない異常事態について、頑張って争った結果が、皆さんお手持ちの『判例百選』(有斐閣、別冊ジュリストのシリーズ名)などに、解説とともに掲載されているのである。
なお、「判例百選というのはそれそのものが『判例』ではなく、あくまで大事なところをまとめて解説してくれた本」ということについては、また別の機会に。

研究者の仕事、実務家の仕事

判例は実は「異常事態」だ、ということを踏まえると、研究者と実務家の役割分担もみえてくる。

研究者は何をしているのか

研究のあり方についてはいろんな考え方があるけれども、あえて一言で言うとしたら「異常事態になってから考えたのでは間に合わないことを考える」のが、研究者の仕事である。たとえば、こんな項目について日々頭を悩ませている。

研究者が日々取り組んでいること
  • 物事の基礎まで立ち返る:大きな価値対立の大元を探っておくことで、未知の問題解決の指針とする
  • 外国の考え方を知る:他の国ではどうしているのか、新しい問題が生じていないかを調べておく
  • まだ解決策が見つからない社会問題の制度的な処方せんを考える
  • 判例がどのような事例まで想定しているのか、射程を考える

少しは、研究者の仕事がイメージできただろうか。

抽象と具体のバランス

学説は、雲の上の世界のような概念と目の前の課題とを行き来しながら形成されている。論理自体の適切さだけでなく、どこまで妥当な結論が出るのかのバランス感覚も問われているからである。学部生のころはあまりよくわかっていなかったけれども、研究者同士では「その考え方を推し進めるとちょっと違う事例の場合にまずい」とか、抽象と具体のバランスを取りながら議論を戦わせているのである。

実務家は何をしているのか

それでは、実務家は何をしているのだろうか。法学部や法科大学院で同じ仲間だった友人は、弁護士になったり、公務員になったり、民間企業に就職したりして、法をプロとして扱う実務家になった。彼ら/彼女らは、法学的素養を活かして、基準に照らしてものごとを判断し、素人では対処できない事態に対応することができるということで価値を生み出し、お金を稼いでいる。
法をプロとして活用している人達がしている仕事は、大きく分けると二つに分類できよう。

  • 「プロにとっては常識」となっていることを確実にこなす
  • 「プロの間でも迷う」新たな問題に対して、全力で考える

この二つは、車の両輪である。どちらかだけでは仕事にならない。「すでにわかっていることを適切に示す」というのは、当たり前のことに聞こえるかもしれないけれども、実際にやってみるととても技量が要る仕事だ。現実の問題には目次とか見出しなんてついていないから、自分で何が問題なのかを突き止めて、「専門家の間では常識だけども、素人には見えない」点を指摘しなければならない。
また、一見するとどうなるかわからない課題に対しては、様々な観点を示して、判断の手掛かりを与えなければいけない。ときには新しい判例を産み出すような努力も必要になるし、自分たちにとって都合の悪い先例をうまく躱すための知恵を絞ることも、とてもクリエイティブな仕事だ。
「法をプロとして扱う人たち」は法曹(弁護士・検察官・裁判官)に限らない。公務員になれば、法律を適用して執行するプロとなる。法律にすべて記述されているとは限らないから、新しいルールを生み出していかなければならない。
民間企業においても、新しい事業を進めるときに法的な問題点がないかどうかを考えるのは、「企業の中に居るプロ」にしかできない仕事。企業のなかでの決まりをつくるためにも、法的な考え方ではどこまではきちんと守らなければならない常識で、どこからが企業文化として許される範囲なのかを判断するには、かなりの専門的な知見が必要となる。

両者は交錯する役割分担

それでも「実務に行くから研究者視点を押しつけられても困る」と考える人がいるかもしれない。けれども、研究者と実務家の視点はときに交錯する。できれば、両方の考え方を知っておいてほしい。どちらの立場にたっても、調べものをするときや課題を発見するとき、そして問題解決の糸口をさぐるときに、異なる視点からの意見や情報は大きな価値を生むからである。

「問題文を自分で作る」ようなもの

いままで述べてきたことを踏まえて、あらためて第1回【前編】での質問について考えてみよう。
答えが一つでないのならば、何をもって採点しているんですか?
事例問題にしても、一行問題にしても、きちんと勉強した人から見れば、「ここが論じるべきポイントなんだな」とわかるようにできている。論ずべきポイントに気がついているかどうか、それを「プロの間では常識」と言えるような部分は適切に記述できているかどうかを見ているのである。
「プロの間では常識」として知っておくべきことについては、「正しいものを選びなさい」というような択一問題で確認できるような基本的な知識も含まれている。択一式試験は正か誤かを聞く形式だから、そういう意味では「答えは一つ」のようにみえる。しかし、それだけで済むのは常識の範囲内で対応できる課題だけ。
だから、多くの試験では、択一問題にくわえてさらに、事例問題を出すことで、未知の問題に対してどういう枠組みで、チェックポイントを立てて論じることができるのかも見ている。
チェックポイントを自分で立てるというのは、自分で問題を解体して、小問をつくるようなもの。
「今までの学説や判例の流れを踏まえていれば、こういうところには気がついて欲しいな」というメッセージをちりばめて作っている。だから、それがわかるように答えて欲しいのである。

第1回【後編】のまとめ

  1. 判例は「異常事態」に挑んだ人たちが作り上げたもの
  2. 研究者は先回りして、実務家は目の前の新たな課題を全力で考え、ときに交錯する
  3. 「プロの間では常識」なことを理解していることを示すように答える

判例のことや、事例問題の答え方については、エッセンスしか書き切れなかった。この連載中であらためて書くつもりなので、ご意見お待ちしております。

次回予告

第2回は、法学の勉強における教科書について考えてみよう。「なんで法律の教科書はあんなに分厚いんだろう?」「どうしても買わないとダメ?」「どんな教科書を選べばいいの?」「なんでこの講義、指定教科書が4つもあるの?」と学部生の頃は疑問と不満だらけ。ところが教える立場になってみて、ようやく教科書のありがたさと使い方がみえてきた。若手教員としては「教科書を書ける先生ってなんてすごいんだ・・・」とも。次回、「教科書とのつきあい方」、乞うご期待。

補足情報

「ぱうコメ」版ではどう答えたか

今回扱った質問のうち、「答えは一つじゃないんですか?」という質問は、第0回で紹介した「ぱうぜセンセのコメントボックス」、通称「ぱうコメ」をスタートするきっかけとなった。
「答えは一つじゃないんですか?」勉強と研究、そして専門教育とは
こちらの記事では法学に限らないように答えているので、もしよければあわせてどうぞ。

行政法総論既習者向けの答え合わせ

以下は行政法総論(行政作用法)をすでに勉強している人向け。文中に出てきた問題は、法律の留保に関する問題で、A=侵害留保説、B=全部留保説、C=社会留保説、D=権力留保説、E=重要事項留保説を想定して作問した。この事例問題はいわゆるO-157事件の東京事件第一審判決(東京地裁平成13年5月30日判決(判時1762号6頁))において、中間報告の公表について法律の留保との関係が争われている点を元に作成した。気になる方はぜひ判決原文に当たっていただきたい。

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