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第1回前編:「答えは一つじゃないんですか?」学説との付き合い方

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ある真面目な学生からの質問

忘れもしない、人生はじめての講義でもらったコメントシートの質問は、とても切実な悩みだった。
大学の講義、とまどってばかりです・・・答えは一つじゃないんですか?
高校までとは違って、教科書もバラバラだし、答えが一つではない。学び方に戸惑った学生からの質問だった。
コメントシートの続きには、法学教育の特徴がにじみ出ている。
法学の教科書は、一つの問題に対して、○○説とか、××説とか、いっぱいあります。実務ではある一つの見解を採用しているようだし、他の学説を学ぶ意味があるのですか?ぶっちゃけ、判例の判旨だけ覚えればいいんですかね?
答えは一つではないのであれば、どうやって採点しているのですか?
このコメントシートの前半と後半に、それぞれ真面目に向き合ってみることにしよう。第1回は、「大学教育では答えが一つではない理由」と、学説を学ぶ意義についてだ。

高校までの学びと大学での講義のちがい

大学では研究者が教えている

実は、この学生の質問を聞いたときに「えっ、答えが一つだなんてことあるわけないよ」とビックリしてしまった。でも、よくよく話を聞いてみると・・・彼女は、大学での講義も、「知識」を伝えるものだと思っていたようだ。高校までの勉強も「知識を覚える」ことだと思っていたようだ。もちろん、全ての高校の全ての授業がそうではないけれども。高校までは、文部科学省によれば「教科書の記述が客観的で公正なものとなり、かつ、適切な教育的配慮がなされたものとなるよう」、教科書検定という手続を経た教科書を使っている。根拠法令も含めた説明はこちら。
4.教科書検定の方法:文部科学省
これに対して、大学ではどの本を「教科書」として使うべきかは講義担当者に委ねられている。なんとなれば、教科書を使わないでレジュメ配布だけの先生もいる。そして、高校までの先生との最大の違いは、大学での講義担当者の多くは「研究しながら教育をする人」であることだ。

研究とは、「人類の英知の枠をちょびっとだけ押し続けている行為」

研究者になるつもりのない人には、大学の先生がどんなことをしている人たちなのかはイメージしにくいかもしれない。平易なことばで説明することが難しいけれども、あえてやってみよう。
研究とは、まだ未解決の問題や、今までの知見では問題とも認識されていないようなズレを見つけ出して、その発生原因を分析したり、対処法を考えたりする知的活動のことだ。あえて大仰な言い方をすれば、「人類の英知の枠をちょびっとだけ押し続けている行為」*1といえる。今あたりまえのことだと思っている事柄も、ちょっと前までは未知だったのかもしれない。誰かが明らかにしてくれたおかげで、人間の英知となる。後からきた人たちはそれを知識として覚えて、次のステップに進むことができるようになる。研究者というのは「英知の枠を押し続けること」を人生の目的にしている人たち、と思ってもらって差し支えないだろう。

大学での目標は「未知にアタックするための下準備」

なぜこのことを確認しておきたいかというと、「大学での学びは、まだ見たことのない知見を得る力をつけるための基礎トレーニングでもある」から。これまでにわかったことを「覚えるだけ」にみえる講義でも、その終局的な目標は、まだ見たことのない課題にアタックしたり、そもそも「これが問題だ!」と気がつく力を養って欲しいというところにある。しかし、未知にアタックするためには、今どうなっているかを知らなければならない。それも、問題になりそうなところだけつまみ食いするのではなく、体系的に・・・。未知の問題にぶち当たったときに、すべてその場で考えるわけにはいかないので、専門家にとっては常識である筋道や、分岐点を学ぶ必要がある。
・・・ちょっと抽象的になってしまったけれども、高校までは、効率よく知識を蓄えていくために整備されてきた学び方でよかった。しかし、大学からは、これからどうするかを自分で考えていくための下地になるような学び方をしなければならないってこと。同じ「覚える」ことでも、その位置づけが異なっているってことがわかっていただけるだろうか。

法学学習者向けに誠実に答えようとすると?

答えは一つではない。これは、より正確にいうと、答え方は一つではない、ということになる。でも、結論だけ見る人から見ると、「いろんな学説があるけれど、結論はやっぱり同じじゃないか」と思うことも多いだろう。紆余曲折を経ても、落ち着きどころはだいたい同じ(であることも多い)。そうすると、こういう感想を持つ人もいるかもしれない。
「別に研究者にならないです。弁護士になりたいんです。今ある法律のプロです。それなら、学説対立とか別にいらないんじゃないっすか?」
このような感想も、いままで積み上げられてきた知識が、「今となってはみんなが知っていることだけども、それまでは未知のことがらだった」ということを忘れてしまっているからではないかと思う。もっと法学に即して言えば、法を学び、運用していく人たちは、「日常と異常との間を、つまり常識で解決できる場合と非常事態とみるべき場合との間を行き来しなければならない」ということである。その意味では、研究者だけでなく、法曹や法務担当者などの実務家も英知の枠を押し続けているし、お互い役割分担をしているといえる。
順を追って、説明していこう。

学説との付き合い方

「A説の人はどこにこだわりがあって、B説の人はどういう風になることにこだわっているのか。こだわるポイントの理解も、結論の妥当性と同じくらい重要なんだよ」
学説対立には意味が無いという学生には、こうさとした。言い換えると、「学説の分岐と過程を追体験する」ことが必要になる、と。

「学説の分岐と過程を追体験する」とは

思考の過程をトレースするとはどういうことなのか。結論だけ覚えるのはなぜマズいのか。自分自身も最初はそうだったから、あまり強くはいえないのだけども・・・学生のよくある勘違いとして、「A説によれば、こういう結論になる」と覚えようとすることがある。
なぜまずいのか。それは、思考をトレースしていないから。A説はこういう事を考えている、だから結論はこうなるというような覚え方は、その学説が何との対比で考えているのか、元になった条文ではどういうことが書いてあり、今となっては典型例のひとつとして記憶されている事例はどんなことが問題になったのかということについて、注意が払われていない。
具体例を述べよう。

中間試験でのひっかけ問題

昨年度の中間試験で、事例問題と学説対立とを組合わせた問題を出題した(以下、説明しやすいように改変した)。

問1 この事例で問題になっている○○○という議論について、複数の学説をあげて説明せよ。なお、以下の語句を必ず用い、さらに足りない語があれば補うこと。
問2 問1を踏まえて、この事例の原告の立場から、○○○の議論により△△△は違法となると論ぜよ。
問3 問1を踏まえて、この事例の被告の立場から、○○○の議論により△△△は適法となると論ぜよ。

問1の「ヒント」として掲げた語句の中には、ある学説のニックネームも含まれていた。実は「その説には現実味がない」と批判されている学説(以下、B説とする)である。引き続く事例問題は、学説対立について答えた問1を踏まえて、対立する当事者の双方(訴える側=原告、訴えられた側=被告)からの主張を答えさせるものだった。
問1の解答において、多くの学生はこの論点についての古典的で今も実務上とられているA説と、ヒントとして問題文中にあったB説とを対比することはできた。でも、問2と問3で困ってしまった。はて、A説は使うにしても、批判のあるB説も用いて論じていいんだろうか?

正解のルートはふたつ

この問題、答え方のルートとしては二つあった。
一つは、問1でB説を批判しているC説、D説、E説もきちんと説明して、問2ではE説を、問3ではA説を採って説明しようというやり方である。つまり、結論に応じて採る学説がかわるというわけだ。
これに対してもう一つは(そしてこれは実際の裁判でもこのような経過になった)、問2でも問3でもA説を採りながら、しかしA説のいう内容に本件事例が当てはまるかどうかの結論を変える、というものだった。つまり、問2では「A説のいう○○にあたるのでおかしい」としたうえで、「よって△△△は違法となる」という結論にいたるように書き、問3では「A説のいう○○に本件事例はあたらない」と判断したうえで「△△△は適法となる」ということである。もちろん、それぞれに注目する要素が違うところがポイントになる。

学説対立と結論対立は直結しない

この事例問題で私が伝えたかったことは、「学説の違い≠結論の違い」ということ。ベースにしている学説が同じでも、異なる結論にいたることもできる。逆に、学説が違うとしても、どちらもある結論を支持するということも珍しくない。過程を学ばずに結論だけ学ぼうとすると、かえって混乱してしまう。上述の事例においては、事例のどの事情を重視するかによって結論が異なる。たとえば「行政機関による食中毒調査途中経過に関する記者会見」が「侵害」にあたるかどうかについて、「危険性のお知らせに過ぎない」と考えれば「侵害」にあたるとは考えにくく、適法になる。他方、「その知らせが業者を非難する内容を含むために売り上げが減少してしまう業者がいる」と考えれば、それもまた「侵害」とみるべきである、といったように*2

学説を覚えるときに気をつけたいこと

だから、ひるがえってみると、最初の学説対比を覚えるときに、「A説だったらこういう場合にはこうなる」「E説が考えているのは特にこういう事例」という典型的な例を覚えつつも、典型から外れるような迷っちゃう事例はどんなものがあるのか、さらに「どちらともいえないような場合はどこに着目して判断すればいいのか」を考えておく必要がある。「先生達がなんか新しいことを言いたいから無茶言ってるんでしょ」ということはほとんどなくて、たいていの場合は想定している範囲というものがある。想定している範囲をちょっと外れるところに学説ごとの分岐があるわけなのだけど、その分岐のポイントを追体験して、個々の学説がどのように捉えているのかをみてほしい。そのとき、「どの学説も当然のこととしているもの」の確認も忘れないように。つい、きらびやかな学説対立に目が行きがちだけれども、なんでここでモメるんだろうと悩んでしまうときは、出発点になった条文や判例をよく確認して、それぞれの説の言いたいことを考えなければならない。

第1回【前編】のまとめ

少し長くなったので、ここで一休み。今回のポイントはこちら。

  1. 大学での学びは、「未知にアタックするための下準備」
  2. 結論と過程とを区別して、思考過程の分岐を追体験する
  3. 出発点となった条文や判例を自分の目で確認しながら追いかける

次回予告

第1回【後編】では、未知なるものを解決するのは研究者だけではないこと、実務家と研究者の役割分担について考えてみよう。

*1:この表現はユタ大学のMatt Might博士による“The illustrated guide to a Ph.D.”から着想を得た。大元のCCライセンスにNon Commercialがあるため、ここでは画像引用を省略するが、平易かつシンプルな英語と非常にわかりやすいイラストで描かれているので、ぜひ大元のサイトにてアクセスして欲しい。なお、日本語に訳して紹介しているサイトもある。→博士号(Ph.D.)をとるまでの道のりをイラストで示すと。。。 | LifeScienceProject

*2:行政法総論を既に履修している勘の良い読者はこの具体例だけで気がつくかもしれない。何の事例を想定して出した問題かは第1回【後編】末尾に掲載予定なので、予想してみてください。

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